2016年3月16日水曜日

中国の神話

「中国の神話(著:白川 静)」を読みました

▢ 白川 静
1910(明治43)年福井県生まれ。立命館大学院教授、文字文化研究所所長。43年立命館大学法文学部卒。84年から96年にかけて『字統』『字訓』『字通』の字書三部作を完成させる。主著に『説文新義』『文字逍遥』『甲骨文の世界』『金文の世界』『中国の古代文学』『詩経』『初期万葉論』『後期万葉論』『回思九十年』など。他に『白川静著作集』(全12巻)がある。<「中国の神話(1980年初版2003年改版)」より>
2004年文化勲章受章、2006年96歳で死去。


▷ 著者を知る
字書三部作の最後『字通』が世に出た1990年代後半、白川静という学者が頻繁にテレビで流れていたと記憶する。個人的に文字というものに抵抗感を持ち続けていたため、文字の研究に生涯を捧げている強者に強く惹かれたような気がする。その字書に対しても大きな興味を持ったとはいえ、それぞれが数万円もする書物を買うことには抵抗があった。
現在は各字書の普及版なるものも出ているので、覚悟を決めれば手に入れることも容易なことだが、その勇気がなかなか起こらない。というのも、内容があまりにも難解というか興味を持って最後まで臨めなさそうな気がしてしまう。
2000年代には白川静の著作物が多く出回っていたように思う。文庫や新書もその中にいくつか含まれていたため、ものは試しという気持ちでその著作物に対峙することも可能になったわけだ。


▢「中国の神話」について
1980年2月10日初版発行、2003年1月25日改版発行
中央公論社発行、中公文庫BIBLIO、定価1000円(税別)


▷「中国の神話」について、私見
2003年の改版が出たころだろうか、書店に平積みで並べられていた。
ものは“試し”、とりあえず内容は問わない、中国の古代の歴史にも多少は興味があるし─、ということで中身も確認せずに購入してしまったのが良かったのか悪かったのか…。結果すべて読み切るまでに、10年以上の歳月を要してしまった。
自分には内容が難解すぎた。勝手なイメージで「聊斎志異」のような物語が並んでいるものと思っていたのだが、全く違ったもので、あくまでも学者の論文であり、中国の神話研究が載っているものだった。

一般に中国は「神話なき国」とされ、その合理的、実利主義的な国民性が、神話の上にも不毛を招いたのであろうとされている。(略)その神話は孤立的に、無体系のままで残されている。このような様態は、縦の時間的組織関係を持つわが国の神話をA、横の同時的組織関係をもつヨーロッパ所属の神話をBとするとき、これらと異なる分裂的な様態のものとしてCとすることができよう。
政治的、文化的統一を達成した段階ではA的な体系、文化統一的の過程においてはB的な体系、その並存的な関係ではC的な体系の様態をとる傾向があるということである。 
中国の神話は、C的な特質をもつものといえよう。「神話なき国」とされる中国の神話は、実は体系なき神話であり、あるいは体系化を拒否する神話であったというべきであろう。それでもし体系化を要求するときにおいても、それは多元の包摂による統一という形でなく、のちに述べるように、神話的表象をすてた世界、すなわち経典や歴史の中で行われる。そのような中国神話の特質を考える上からも、この類型規定が、その理解をたすけるところがあるように思われる。 
大体神話は、継承される性質のものではない。国が滅びると、神話は滅びるのである。
そもそも日本の神話、古事記とか日本書紀がそれにあたるのだろうか、それ自体もあまりよく理解していないのに、いきなり他国の神話を詳細に論述されての無理があるし、それがまた日本の神話と比べてどうなのかという比較論までされてしまうと、苦しい…。
とはいえ、ギリシャ神話やユダヤ教・キリスト教などの他国の神話を自国のそれよりもよく知っているという例はあるわけだから、いきなり中国のそれを─、というのも悪いものではない。悪くはないけれど、最初は“お話”を語ってほしいところではあるけれど、その内容を全く知らないままに研究の結果だけを目にしたところで、果たしどれだけのことを理解しきれるものなのだろうか。
そういった思いから長年放置し続けた難敵に決着をつけてやった。まぁ、読み終えた率直の感想といえば、完敗という一言に尽きるのだが…


▷ 感想や「中国の神話」の内容を絞り出す
中国は神話なき国といわれるが、はじめから神話がなかったのではない。殷王朝にはa的な体系として、また戦国期にはb的な体系のものとして、それぞれの神話があった。ただこれを統一する主体を欠くものであった。それでのちに、古帝王の説話が、五行思想が黄を中央の色とすることから、黄帝を中心として系譜化されたが、その神系譜は、何らかの神話的な意味を持つものではなかった。中国の神話はまた、このような古帝王の系譜の中に隠されているのである。
そもそも、“中国は神話なき国といわれる”という事実すら知らなかったわけで、果たしてそうなのだろうかという大きな疑問すら持ってしまう。よく耳にする中国四千年の歴史というのは─、確かに歴史的な客観性を帯びた事実はよく聞くけれども、ナニナニ伝説とかほとんど聞かないように思う。
 中国の神話の研究には、その祭儀の実修形式から神話の意味を追求しようとする解釈学的方法などは、あまり有力なものでない。それは祭儀の形式も、説話の具体的な内容さえもほとんど伝えられることのない、隠された神話であるからである。何よりもまず、その隠された神話を発掘すること、神話の原形態を復原することから、はじめなければならない。そのことをはじめて試みたのは、わが国の場合と同じく、外国の学者であった。優れたエジプト学者を父とする古代史家マスペロの『書経中の神話』(1924年)は、その意味で画期的なものであったといってよい。マスペロはそこで、『書』のなかから、太陽神の御者としての義和(ぎか)の説話、禹の洪水説話、また天地の開闢を説く重黎(ちょうれい)の説話などを、発掘してみせた。中国の神話がなおほとんど未開拓であった当時としては、それはおどろくべき創獲であった。
つまりは、中国最古の歴史書『書経』のなかに、世界各地でみられるような洪水伝説のようなもの、あるいは日本の天照大神にも似た義和あるいは天地開闢の話といったものが載っていたというのだ。つまり歴史的ドキュメントであると思っていたもののなかに、フィクションも巧みに織り込まれており、歴史書というよりも良く言って“伝記”といったところだろうか。
中国には数種の洪水説話がある。洪水神としては禹、共工や伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)、また伊尹(いいん)の説話がある。それらはいずれも河南西部の古い洪水地帯に起こったのであり、それぞれ異なる種族の間に伝えられたものであろう。禹は夏王朝の始祖ともされるもので、それは夏系の神話である。共工は姜姓の神であるらしく、羌人の伝えたものと思われる。伏羲・女媧は、その説話がのちまでも広く苗系の間に行われていることからみても、南方の苗人のもつ神話であった。
複数の民族からなる中国において、似たような神話が複数存在する。それはまるで民族の数だけ存在するかのようであるが、それらが半ば姿を消しているのは、勝者と敗者の理論がそうしているようだ。即ち、支配民族が歴史書を都合よくした結果、神話も埋もれていったということらしい。何せ中国において歴史書というものは、記録を超えたものとして捉えてきた歴史があるようなのだから─
もし卜辞資料が出現しなかったならば、この索漠たる系譜のみを『史記』に残している殷王朝の神話的世界観は、その存在すら知られなかったであろう。歴史のなかにある神話が、必ずしも本来の実態を示すものでないこと、歴史はむしろしばしば神話への加害者であることを、われわれはこのことから学ぶべきであろうと思う。
甲骨文字が見いだされていなければ、概念的にしか記録されてこなかった殷王朝は、それほど重要視されることがなかったということだ。確かに歴史的事実の記録は重要であろう。しかし歴代の王が並ぶ系譜を見たところで、その時代のことは何も知り得ないのだ。
神話は、それぞれの民族がもつ固有の構想力の、最初の所産である。
歴史は神話というものが成立してこそ生命的に動き出す。
中国の神話が、その形を変えて多くの経書の中に隠されていることは、すでにマスペロの指摘するところであった。『書』の中には、マスペロが指摘したほかにも、なおいくつかの神話を見出すことができるが、そのためには、失われた神話がどのようなものであったか、それを回復し、その性格を考えておくことが必要である。
そこにはあらゆる民族闘争が含まれていて、そこに潜むメタファーを捉えていかなければ神話を見出すことができないという。
尭のとき、十日が並び出て草木はただれて枯れ、民は生食に道を奪われた。その上、猰㺄(あつゆ)、鑿歯(さくし)、九嬰(きゅうえい)、大風、封豨(ほうき)、脩蛇(しゅうだ)などの悪獣が民の害をなしたので、尭は羿に命じてこれらの邪神を殺し、最後に脩蛇を洞庭湖に断(き)り、封豨を桑林に禽(とら)えた。また十日を射てその九日を射ち落としたので旱害もおさまり、民は生色をとりもどし、尭を天使としたという説話である。
この話はよく目にする物語で、まさに神話でしかないと思ったりする。上記にある羿の話は『淮南子』の引用だが、ほかにも形を変えて『楚辞』『左伝』などにも弓の名手羿が登場して、さらには苗族、台湾、マライ、スマトラなどでも似たような物語があるという。まさに中国の神話は歴史書に隠されているわけだ。
伝統の形成には、きびしい精神の営みを必要とする。神話の創造にロゴスとパトスとの内的統一が必要であるように、伝統の傾城にもそれが必要である。中国においては、そのロゴス的な面は、王朝の交替をこえた天下的世界観の中での古聖王の説話、すなわち『書』のような経典として、またそのパトス的なものは、巫祝者の伝統として、のちの楚辞文学を生むのである。わが国でいえば『記』『紀』と『万葉』とがそれにあたるが、そこに神話的な精神がどのように貫徹されているかは、わが国の神話のもつ一つの問題であるといえよう。
正確につかむのが非常に難しい表現ではあるけれども、要するに、神話が成り立つには理論的表現と感情的表現の融合が必要だということなのだろう。中国には理論的記述としての『書経』が存在し、そしてまた感情的な表現として『楚辞』がある。一方、日本においては記述としての『古事記』日本書紀』、表現としての『万葉集』があるというわけで、それぞれの書物がどれだけロゴスとパトスの融合がなされているのかという疑問提起になっているわけだ。
神話の体系は、異質的なものとの接触によって豊かなものとなり、その展開が促される、それには摂受による統一もあり、拒否による闘争もあるが、要するに単一の体験のみでは、十分な体系化は困難なようである。そのため孤立的な生活圏は、神話にとってしばしば不毛に終わる。中国も本来単一の種族ではなく、その先史文化や神話を通じて、種々の種族的葛藤を経験していることは、すでにみてきた通りである。
これだけを見ると、中国に神話がないという定説は偽りなのかとも思ってしまうけれども、それでもなお、著者は中国の神話は“枯れている”と説く。
中国の民族は四夷の混合より成り、その文化は多元的であり、また複合的である。その点において、わが国と同じといえよう。しかしその神話がわが国のように多元的、複合的でありえなかったのは、神話が特定の歴史的時期にのみ形成されるものだからである。われわれは神話について、特にそのことを重視しなければならない。中国の歴史の上では、それは殷王朝の時代にあたるが、このとき中国は、なお民族的、文化的統一に達していなかった。また殷王朝の滅亡によって、その歴史的時期も失われている。その神話がC類型にとどまるのは、それゆえであろう。それでその民族的、文化的な統一を達した時期に、彼らは古帝王の系譜化によってその概念的整合を試みたが、そこにはロゴスもパトスもない。それはすでに神話ではなく、天下的世界のイデオロギー的反映である。
つまりは、中華思想なるものが色彩豊かな文化を削ぎ落としてしまったのかもしれない。突き詰めてゆくと現政治体制の批判へと繋がりかねないので、個人的偏見は控えておくけれども、国の規模から見ても明らかに主義主張や思想といったものが少なすぎることは否めない。
中国とわが国の神話は、その経典化と歴史化という形で対比される。経典は民族文化の価値の根源であり、歴史は時間的継続のうちに生命の連続をみようとするものである。『記』『紀』の神話は、明らかに歴史への接続を試みている。当時の王朝政権に参加した氏族たちは、多くはその遠祖の物語を、神話のうちに残している。『記』『紀』の編纂には、王家の記憶のみでなく、家々のもてる記録をも資料としたとされるが、それは王室と諸氏族との関係を、神話時代にまで遡らせてそれを基礎づけるためのものであった。そこには理念的なものがない。それは「みな上つ代の実なり」とする事実主義の上に立つ。その神話から理念的なものを求めるとしても、かつて一時となえられたような「事実主義」という以上のものは導かれない。事実主義というのは、単に経験的なものを超える、事実の具体的な絶対性の主張としてのみ、はじめて意味をもちうるのである。それ以前のものは、単なる事実でもありえない。
 中国の神話はまた、枯れたる神話の典型のようなものである。その神々は、ほとんどことばをもたない。共工が帝たることを争い、敗れて頭を天柱にふれ、天柱地維がために傾くという壮大な事件でさえも、神々のことばは何も残されておらず、事件としてのことが記されているのみである。そこにはロゴスの世界がない。また神々は人間的に行動することもなく、著しく非人間的である。ただ経典の世界においてのみ、神はことばを用いる。西周の後期に、王室が破滅的な危機に直面したとき、創業の王に哀告する詩編が多く作られた。それは「文王曰くああ ああなんぢ殷商 上帝のよからざるに非ず 殷の旧(老臣)を用ひざればなり」という大雅の「蕩」のように、殷商の革命を文王の語として回顧する。そしてそれは「殷鑑遠からず 夏后の世に在り」という革命へのおそれを戒める語で結ばれている。神話的なものへの回帰は、現実へのおそれから発しており、神の言葉は政治的訓戒として述べられている。
別に中国の神話を批判しているものとは思えないけれども、その神話を深く探っていくといまの社会形成に繋がっていくような印象を、どうしても持ってしまう。
豊かな神話を持つことが果たして本当に良いことなのか、個人的には多少の疑問はあるけれど、神話が全くない社会など存在し得ないと、この本を読み終えて強く思っているわけで、そうすると逆説的に社会を豊かにするものは神話なのかなとも思っている。

かなり絞り出したつもりだが、自分が捉えきれたのはこの本の半分程度であろうか。
中国の豊富な民族と広大な領土を交えながら、ダイナミックに、歴史書の中から神話を見出そうと試みられているのだが、あまりにも雑多な名称が多く、地理においても詳細に及びすぎていて、自分の知識ではほとんど捉えきれなかった。
また、文字研究者としての知識を生かしつつ、漢字の形成も交えつつ興味深い関連話も掲載されているものの、内容があまりにも細かすぎるため、ここにはほとんど記さなかった。
そして、まだ我が手元には未読破の白川静の本が残されている。これもまた難敵なのである。果たしてその感想を書く日は来るのであろうか─。