▢ 泰平ヨンの未来学会議
ポーランドの作家、スタスワフ・レム(1921-2006)が1971年に発表。スタスワフ・レムは2度映画化された「ソラリス」など、SF作品で有名である。
泰平ヨンが登場するシリーズは「未来学会議」のほかに「航星日記
▢ 泰平ヨンの未来学会議 あらすじ
第八回世界未来学会議がコスタリカで開かれた。そこでは人口の激増とその阻止がおもに討議されることになっている。泰平ヨンはそこに参加すべく、会場のコスタリカ・ヒルトンに宿泊する。会議が始まるとテロ事件が発生、軍がそれを鎮圧させるために放った<誘愛弾>が誤ってヒルトンで爆発してしまう。それを吸ってしまったヨンたちは、いつの間にか未来のユートピアと誘われて行く。そこで目にしたのは精神化文明(セラピライゼーション)の時代と呼ばれる社会であった─。
▷「コングレス未来学会議」と「泰平ヨンの未来学会議」
「泰平ヨンの未来学会議」を知ったのは、アンリ・フォアマン監督の映画「コングレス未来学会議」が公開されるとの情報を得てからだった。アンリ・フォアマンの名もスタニスワフ・レムの名も知っていたので、映画にも書籍にも興味を持った。
コンセプトは一緒でもその内容はかなり違う。原作は男性が主役で未来学会議から話が始まる。一方、映画は女優が主役で会議会場に赴くまでの前置きがかなり多い。
映画から先に見たが、ここまで話が違うとは思っていなくて、こうして今さらながらに原作を読み切り、再度、映画を見返してみたいと思ってるところだ。
原作から先に読んでいれば、このめくるめく世界観をどのように表現されるかなど想像つかなかっただろう。結論からいえば、映画ではアニメーションと実写を組み合わせることでそれを見事に表現しきっていた。アニメーションを用いることで、自由自在にユートピアを描いている。その創造力たるや、決して原作にひけを取らない。人によっては、この二つは似て非なるものというかもしれないが、個人的には楽しさが2倍になっていると思っている。原作と映画化の関係で、単に焼き写しになってしまうことほど、悲惨でつまらないものはない。
▷ 未来を描いたSF
1971年時点の近未来から物語は始まっている。恐らく2000年代前半という設定だろう。泰平ヨンはホテルの水道水の中に何かが含まれていることを感じる。
ラブタミン(慈愛覚醒剤)系の、脳に抽象的な歓喜と落ち着きを呼び起こす幻覚剤の新薬…(略)…快楽剤、多幸剤、陶酔剤、至福剤、感情移入剤、恍惚剤、鷹揚剤など、それに類したおびただしいドラッグだ!それと同時に、水酸基系の薬をアミノ酸で置き換えれば、それから、憤怒剤、反目離反剤、加虐性歓喜剤、鞭推剤、虐待亢進剤、挫折惹起剤、落花狼藉剤や、それ以外にもさらに多くの鞭殺亢進剤系の中の狂暴性を増幅する興奮剤が合成できるのだ(これらの薬品を服用すると、周囲にあるものを、生命があろうとなかろうと関係なく、鞭でひっぱたいたり愚弄するという傾向があるのだ──その場合いちばん強力な効果があるのは、埋葬剤と梵殺剤のはずだった)。多くの不思議な名前の薬こそが物語のキーとなってくる。一風変わった名称がユーモアを生み出し、同時に非現実的な想像を刺激する。
<誘愛弾>が落下しはじめるに及んで、法の番人たちは互いに我先に駆け寄って、そばにいる者と相手の見境もなく抱き合って愛撫しはじめたのだ。幻覚剤はすでに世の中で頻繁に使用されていた。傷つけるよりもよっぽどこっちの方がいいように思うのだが、幻覚が強すぎるとその弊害も甚だしい。
テロを抑え込むためにまかれた幻覚剤のせいで、泰平ヨンは幻覚の呪縛にはまってしまう。頻繁に幻覚が繰り返していくうちに、現実世界と幻覚とが判別できなくなってくる。
気が付くと脳だけがあらゆる肉体に移植され続けていた。女性になり、テロリストになり、知り合いの教授になったかと思うと、自分の肉体には別の誰かの脳が移植されていたり…再び脳と体が一体となっている感覚に戻ると、今度は冷凍保存されようとしていた。40年から70年後の解凍を見越した、いわゆる冬眠ということなのだろう。そして冷凍され無の状態へと落ちて行く。
解凍され目覚めると、そこは2039年、精神化学(サイコケミストリー)が中心の精神化文明(セラピライゼーション)と呼ばれる時代であった。
ようやく百科事典の入手方法がわかった。周りの状況は一変していて、紛争など争いごとも全くなくなっていた。それというのも<誘愛弾>や幻覚剤など、薬が発達した恩恵のためで、薬によって精神を自在にコントロールしていたのだ。
学術陶象店で購入したのだ。今では本は読むものではなく食べるのだ。紙ではなく、砂糖をまぶした情報物質から作るからだ。
陶象店はひょっとして図書店から由来しているのではないのか?
麻酔剤や初期の幻覚剤のあとに、強力な選択効果がある精神焦点剤と呼ばれる薬が表れた瞬間から、文明の進歩はそちらの方向へ進まざるを得なかったのだ。だが、本当の意味での大変革が起こったのは、ようやくマスコン──つまり点覚剤が合成された25年前のことだ。麻酔剤は人間を世界から遮断するのではなく、それと関係を変えるにすぎないし、幻覚剤は世界全体を混濁させ覆うだけのことだ。ところがマスコンは世界を偽装するのだ!つまり、感情を完全にコントロールしているのではなく、脳をだますことによって、あたかも平穏な心を保ち続けているような錯覚を作り出しているだけだったのだ。
しかるべく合成されたマスコンが脳に入ると、外界のあらゆる対象が虚構のイメージで覆われてしまう。それがあまりにも真に迫っているから、マスコンの影響下にある者は、現実に知覚が働いているのか、それとも虚妄状態にいるのかわからなくなってしまう。地球上のほとんどの人は、虚妄状態ことに気付いていない。虚妄を現実と捉え、それを謳歌している。しかし、本当の世界を知る者も存在する。すべての人類が本当の地球を知らないのであれば、元も子もないからだ。真の世界を知る者は自らを現実在者と言っていた。泰平ヨンもアンチパラダイジンなる薬品をかぐことにより、真の世界を目の当たりにする。そこはすべてが嘘の塊だったのだ。
今年は2098年だ。合法的に登録されている人口だけでも690億人、他に登録されていない非合法な住民が260億はいる。年間の平均温度は4℃に落ち込んでいる。ここ15年か20年で氷河期がやってくるだろう。その進行を阻止することは不可能だし、遅らせることもできな──できるのは隠すことだけだ決して明るい未来ではないし、しかも今現在の世界情勢を眺めると、まるっきり絵空事のようにも思えない。薬漬けとか、幻覚の弊害とか、明らかにこの現実世界を意識して描いている。未来への警鐘とはいわないまでも、このまま行くと異常な世界が待っているという意識を植えつけてくれる。
変な薬、変なロボット、笑えるけど未来だけど楽しい未来じゃない。しかし、ふと思う。もうすぐ滅亡という事実をつきつけられたならば、人類はどのような反応を示すのだろうと。自暴自棄になる人は少ないないだろう。だったら滅亡する事実を知らないままに滅亡した方がよっぽど幸せではなかろうか。何事も永遠なものはない、今のところ─。人類がその永遠を手にすることができるのかどうかは分からないけれども、幸せに滅んで行く方策ということを考えることこそが現実的かなと思わないでもない。
虚妄を現実と思いこんで滅んでいくことを肯定したわけではないけれども、笑いながら滅んでいくのも悪くないなと、この本を読んで思ってしまった。