2016年2月23日火曜日

マイナー音楽のために 大里俊晴著作集

「マイナー音楽のために 大里俊晴著作集」を読みました


▢ マイナー音楽のために―大里俊晴著作集 概要
2009年11月17日に51歳で夭折した、音楽学者・ミュージシャンの大里俊晴が遺した著作などを一冊に纏めたもの。
雑誌、書籍、ウェブ、ライナーノートなどの媒体から、原稿用紙にして1200枚強。その他、インタビュー、対談、なども含まれる。
内容は、現代音楽やフリージャズを中心とした音楽論が展開される。それに加えて、文学や漫画などの評論などもある。
2010年11月17日に初版が有限会社月曜社から出版される。


▢ 大里俊晴について
1958年2月5日新潟生まれ。音楽学者・ロックミュージシャン。
70年代後半─80年代前半には「ガセネタ」「タコ」などのバンド活動をおこなう。早稲田大学文学部を卒業後、87─93年、パリ第八大学にてダニエル・シャルルの元で音楽美学を学ぶ。帰国後、音楽評論、ラジオ番組出演などを行う。著書に『ガセネタの荒野』(洋泉社)。音楽批評家・間章に関するドキュメンタリー『AA』(監督:青山真治)にインタビュアーとして出演。2009年11月17日永眠。享年51歳。
※「マイナー音楽のために」より


▷「マイナー音楽のために」との出会い
渋谷のタワレコであてどなく物色している最中、“大里俊晴”という文字が目に入った。ちょっとした懐かしさを覚え、その名が載る本を何となしに取ってみる。内容と値段ともに、かなりのボリュームで、抵抗を感じるが、“逝去”という言葉により、手放せないものとなってしまう。
大学で音楽概論なる授業を受けたのはそんな前でもないはずだが…、ほとんどサボってばかりいたなぁ…、流れる音楽も耳慣れなかったし…、いっちゃったんだ…早過ぎる…。
半ば郷愁なる思いで手に入れた本ではあったが、いざ読み始めてみると、相当の手強さ。究極のマイナーともいうべきものがそこにはあり、知識が全く追いついていかないのである。ふと、「出席しなくても論文出せば単位はあげる、でもよほどじゃない限りいい成績はあげないよ」といった趣旨のことを発言していた大里先生の姿を思い出す。その言葉に甘え、全く授業に出なかった自分を今さらながらに悔やんでしまうのだが…。音楽に確固たる厳格な信念を持っている人なのだと再認識しながら、静かに本を棚に置く。情けない話ではあるが、それからその状態が数年間続くことになる。


▷ 覚悟を決めて対峙する

PRIVATE CHART 10

阿部薫『なしくずしの死』(78)
アントナン・アルトー “Pour En Finir Avec Le Jugement De Dieu”(71)
イアニス・クセナキス “Persépolis”(71)
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド “The Velvet Underground(3rd)”(69)
コレット・マニー “visage-village”(75)
ジャックス “Live, 68. 7. 24”(73)
ティム・バックレー “Happy/Sad”(69)
パティ・ウォーターズ “Sings”(66)
ブルー・チアー “Vincebus Eruptum”(68)
空席

『STUDIO VOICE』1997年8月号
「特集=GREATEST RECORDS SV特集(永遠の名盤)ガイド」より

冒頭、自らの恥部を晒すかの如き嘆きの文章とともに、著者厳選の10枚ならぬ9枚が提示されて、出口の見えない長い旅が始まる。
確かに、かなり特異な選択だと思う。しかし、全く知らないわけでもないし、ジャズやら現代音楽やらロック、シャンソン、ポップ等々、非常にバラス良く並んでいるように思ってしまうのだが、恐らくそう思われることも赤面の極みなのだろう。
著者は、何でこんな苦しみ・辱めを受けなければならないのかという罵りと共に絞り出されている。空席を設けているのも、10などと限定することなどできないという、著者の正直な思いが込められているわけだ。
この本の最後に細野晴臣が解説として書いている─
これは毎月どこかでやっている平凡な企画で、普通の回答者は記憶の気楽なおさらいをしながら、正直に(読者を喜ばせたり、驚かせる目論見も多少持って)答える。考え込む必要はない。1年後に違う10枚を挙げても誰も咎めない。回答が刻々(雑誌に応じて)変わるのはむしろ自然だ。ところが大里はPRIVATEの語を誇大に解釈し、「誰にも見せたことのない、一番隠しておきたい、最も大切な場所」を総てさらけ出す要求と曲解する。アンケートを性器のように隠しておくべき絶対的羞恥の調書とみなす。
まさしく音楽に対してどれだけ真面目なのかとツッコミたくなるくらいだ。しかし、本を読み進めるうちに、冒頭の提示は本当に真摯に吐露したものだったということが実感されてくる。著者は音楽の嗜好についてこうこう答える─
音楽が好きだなといったときに、頭でとらえるものとマインドでとらえるところの両方がある気がして。
つまり、思考と感情のすべてをむき出しにされてしまったわけだ。

フランスの留学経験をもつ著者は、音楽への言及がかなりフランスよりとなっている。そして、その象徴ともいえる存在がコレット・マニーであろう。
ジャンルの限定なしに、20世紀最大の歌手、あるいはやや控えめに言っても、20世紀最大の歌手の内の一人、と呼ぶのがふさわしい
そう語り、コレット・マニー「ヴィザージュ─ヴィラージュ」(75年)を挙げて
何度でも言おう。このアルバムこそは、他の何千枚とも決して取り替えのきかぬ、常に新たに認識され直さなければならないモニュメンタルなディスクなのだと。
と断言している。
このコレット・マニーなる故人はいまだその評価は小さい。恐らく本国フランスでもそれほど大きく取り上げられる存在ではないと想像する。それでも彼女の偉業を主張し続けた理由は、その音楽だけが知っている─ということで、コレット・マニー「ヴィザージュ─ヴィラージュVisage-village」を聴いてみる。あくまで個人的な見解として、素晴らしい。
以降、登場してくるフランスからの刺客たち─

ジェラール・マンセ(Gerard Manset)
アントワーヌ・トメ(Antoine Tomé)「Éternité」
ルイス・クラヴィス(Louis Sclavis)「Ad Augusta Per Angusta」
ジャン=フランソワ・ポーヴロス(Jean-François Pauvros)「ル・グラン・ダムール( Le Grand Amour)」
「ゴダール・サ・ヴ・シャント?(Godard Ça Vous Chante? )」

小難しいエクリチュールよりも音楽なのだからまずは聴くこと。そうすれば必ず大きく視野が開かれる。それがたとえ渺漠たる野へと放たれることになろうとも、決して恐れず、自ら道を切り開こう、この分厚い本を道標として─…


▷ マイナー音楽の今むかし
私の気を重くしているのは、この原稿の性格上、廃盤になっているレコードに言及することを余儀なくされている、ということだ。今日フランス本国ですら普通には入手しがたいアルバムを紹介するというのは、あこぎな中古レコード屋の相場をつり上げることに奉仕する意外に、なんのメリットがあるというのか。勿論、ある紹介文を読んで興味を持った音楽を聴きたいという欲望は肯定されて良い。しかし、その実現のために法外な値段を支払わねばならないのだったら、その欲望を喚起すること自体問題がある行為なのではないか。そもそも、いかなる代償を支払っても入手する価値のあるレコードなどそうそうあるものではない。
著者がこのように記す理由がよく分かる。恐らく、著者自身も高尚な文章を読んで、中身を全く知らない音楽を貪り、そうやって暴利を貪られた側なのだろう。
昔、自分も某CDショップで透明な袋に入ったフリージャズについての本を数万円で売られていたのを目にし、心を動かされた記憶がある。その時は思いとどまった。しかし、それが果たして正しかったのかどうか、読んでみないと分からない。それを確かめるために数万なんて…。でも、その時は冷静であっても、他の場面では心の赴くままになけなしの金をはたいた時は何度もあった。
廃盤へのプレミアというかたちでなくても、そもそも供給能力が弱いというのがマイナー音楽の特徴であり、それ故、新品でも各々それなりに値が張っていたものだ。中身も分からないままにクジ引きのごとく、ドキドキしながらそれを開ける。
著者に言わせるとそれは愛しき“躓きの石”たち─
 例えば、70年代の半ば、雪深い田舎から生き馬の目を抜く魔都東京へとやってきた、なんも知らんウブな予備校生がいたとしよう。「なんか、オレもうこう、都会的っちゃうか、センレンされたっちうかよ、ふっ、その手の音に浸ってみたいもんよなあ。クニじゃヨシオが、これからはフージョンよ、とかっつーって、チック・コレアだかなんだか、さんざん聴かされたもんな。ま、クソ面白くもなんともなかったけどよ。ともかくECMってレーベルなら間違いねえらしいからよ、ここはひとつ」などと呟きながら、その彼が、偶々『チョロとギターのための即興曲』を手にしてしまったと想定されたい。多分、デレク・ベイリーという名前が、この間始めて入ったジャズ喫茶とやらで粋がってふんふん言いながら読んだジャズ雑誌に、竹田某だの間某だのといったやたら高踏的なヒューロンカが、小難しい単語てんこ盛りにしている中で、ちらっと出てきた固有名詞だったような気がしたのが、彼の知的劣等感にまみれた暗い部分を煽ったのかもしれない。ともあれ、彼はそれを買って家に帰り、針を落とすと、こう叫ぶことになる。
「ウヒャア、おったまげたあ。トーキョーには飛んでもねえもんが売ってるんだなあ。最初から最後までコリコリいってるだけでねえか……」。しかし、彼には自分の選択を失敗だと決めつける勇気はない。彼は東北人特有の粘り強さで、そのコリコリを何度も聴き返す。そしていつしか、そのコリコリに特別な親しみを感じている自分に気づくのだ……。
著者が書く思い出話(?)に共振する自分がいる。ドゥルーズ=ガタリが言う「偉大で、革命的なのはマイナーなものだけである」という金言を胸に秘め、ベイリー、ジョン・ゾーンらのフリージャズや、理解もできるはずもない現代音楽などに挑んでいた。
それらは、壊すものであり、再構築してくれるものであり、新しいものであった。色んな感覚が壊される、それは同時に、新たな見方を提示してくれる。
小杉武久のことを著者が評するその文章にも、その辺の感覚が述べられている─
“聴くこと”からの想像が彼の音楽を考えるときのキーポイントだろう。その意味で、この本には載っていないが、われわれには忘れがたいテクストがある。かつて小杉はルー・リードの、あのあまりに誤解された『メタル・マシン・ミュージック』の国内盤ライナー・ノートに、きわめて興味深いインストラクションを沿えたことがあった。それは要するに、そのアルバムを使ったいくつかの聴き方の遊びというようなものだったのだが、特に、「耳を手で塞いだり開けたりして音の変化を楽しむこと」という指示は、彼自身の作品(彼の作品は行為の指示だけ、というものが多い)そのものである。しかし考えてみれば、それはそのアルバムに入っている音楽をありのままに聴くなという指示であったわけで、いったいレコード始まって以来この人以外の誰が、ライナーにおいてそのライナーが付された当の音楽を「ちゃんと聴くな」などと言っただろうか。そのような不敬を冒してまでに(じるは、まさにそれはルー・リードが参照したラ・モンテ・ヤングの方法論に準拠した“ちゃんとした”聴き方なのだが……)、小杉は日常の行為である“聴くこと”を意識に上らせようとした。そのことによって、意識の僅かな、しかし深遠な変容を企んでいたのである。
このようなもっともらしい文章を読むと、なぜか非常に励まされる思いがする、あなたが聴いたマイナー音楽は決して無駄なものではなかったのだと。
このような著者による地道な啓発活動のおかげなのかどうかは知らないが、再販やデジタルデータとして埋もれつつあったものが徐々に世に出つつあるように思う。しかも、ネットワークが発達した今は、検索ひとつですぐに手の届かなかった音源を聴くことができるのだから便利な世の中になったものである。


▷ 現代音楽の意味
ある現代音楽事典を引いてみよう。「ミュージック・コンクレート」の項には、次のような定義が読まれる。「ミュージック・コンクレートは、その呼び名を、それが追求する美学的な目的ではなく、実際に使用された、一般的な具体音という起源に負っている。(中略)ミュージック・コンクレートはその第一段階として、具体的な音や雑音の録音(伝統音楽の楽器から借りてきた音、また、モーター、飛行機の急降下、シャンパンの栓、ハンマーやつるはし等々といった生活の中の音)から得られた音による新しいヴォキャブラリーを確立する」。
なるほど、そうではないか、と人は思うかも知れない。なにかこの記述に問題があるのだろうか。だが、ミュージック・コンクレートの重要性の再認識を促す論文「ミュージック・コンクレートの存在論」で作曲家のミシェル・シオンの指摘するところによれば、これらの“生活の中の音”の例に関して、この記述は完璧に出鱈目なのである。「どのようなコンクレートの作品も、これらの音を使ったことはない」と彼は断言する。
正直、ミュージック・コンクレートがどういうものであるのか正確には分かっていなかったものの、この示唆と以降に続く解説に大いに納得させられる。
そしてそこから、現代音楽とロックはどのようにしてかかわり合うことができるのかということを論じていく─
ロックという文脈で語られる以上、未来などない。なんとなれば、ロックとはその生誕の瞬間に終わっていたのであるから、そもそも歴史的発展などないのだ。
すなわち、ロックに未来はないとしつつも、それは現代音楽を肥やしにしながらどこまでも突き進んでいくことを示唆している。だから、現代音楽の推移とともにロックも変化するのだろう、決して進化することなく。
それ故に現代音楽の重要性も一層高まるというわけで、著者は21世紀に残すアルバム10枚を挙げている。冒頭に挙げたPRIVAT 10とは違って、これは頭だけでとらえられた10枚であり、あまり面白いとはいえないかも─

ジョン・ケージ「ヴァリエイションズⅡ」
ジョージ・クラム「ブラック・エンジェルス」
フィリップ・ドゥロゴス「アグレッシオン」
リュック・フェラーリ「ブレスク・リアン・ナンバー1/ソシエテⅡ」
ペール・アンリ「ミーズ・アン・ミュジーク・デュ・コルチカラール」
マウリシオ・カゲール「エキゾチカ」
コンロン・ナンカロウ「スタディーズ・フォー・プレイヤー・ピアノ」
カールハインツ・シュトックハウゼン「Spiral für Blockflöte und Kurzwellen」
イアニス・クセナキス「ペルセポリス」
ラ・モンテ・ヤング「23 VIII 64 2:50:45-3:11 AM the volga delta」

そして、これら現代音楽の役割の一例を挙げる─
我々の中に、たかだかこの200年ほどの間に形成されたロマン主義的音楽観による正しい音楽の在り方が、意外と根強くすり込まれてしまっている(略)その在り方とは、すなわち、しわぶきひとつ聞こえないコンサート・ホールで、演奏家が超絶的な名人芸を披露し、その演奏によって楽譜から忠実に賦活された作曲家の理念が、聴衆にあまねく伝わりうるという、ほとんど幻想に近いものである。そこには、音楽の形成、伝達過程で起きうるはずの、あらゆる情報の偏差、不確定性、ノイズの混入といったものが完全に無視されている。実際はそんなことなど決してあり得ないのだが。
ちなみに、ここで、ある音楽が作られ、我々の耳に届くまでに、どれだけのプロセスを経るかを考えてみよう。おおざっぱに図式化すれば以下のようになるだろう。
 作曲家─楽譜─演奏家─音響─聴衆者
このプロセスの中で、どれほどの情報のロスがあるか、少し想像してみただけで、音楽家の理念が音楽を通して聴衆者に十全に伝わる、などという旧来の考え(というより意識にも上らぬ不文律なのだが)は、ほとんど絶望的であるように思えてくるのではなかろうか。
現代音楽を果たしてマイナー音楽と呼んでいいのかどうか疑問なところだが、それが実際に流れる場は明らかに少ない。しかし、それが音楽全体に果たす役割というのは、想像を絶するほどに大きいものなのだろう。


▷ 興味深い提示
二重音唱法に限らず、倍音が特徴となる唱法は、先ず、その倍音を発すること、およびそれを聴くことで、身体に直接的な快が得られる
反響効果が耳に与える快感は、あえて歴史を遡らなくとも、我々自身、日々体験していることである。
声をテーマにした記述が、本の中盤で展開されている。上記にあるのは、ホーミーなど二重音唱法が何故に世界各地で存在しうるのかとうことを紐解いているもの。
声と音楽との結びつきを深く追求しているその記述が、非常に面白く、しかも、声を武器に活動している、例えば、デヴィッド・ハイクス(David Hykes)などのアーティストのことを紹介してくれている。ハイクスを「技術的な面では、ハイクスは、恐らく世界で最も高度なテクニックを身に付けているだろう。」と称す。そして、それを聴くと実に興味深いもの。音楽の領域は何と広いことか─。

美術を評した次の文などにも共感する。
“平和と自由”のために、ハンマーで音をぶち壊すヨーコ。
このように、私には、今でも、ヨーコの身体性の過剰さが、その言葉や論理をはるかに乗り越えているように思える。そして、その瞬間に立ち会うとき、我々は決まって、名状不可能な、鳥肌のような快感を手に入れることになるのだ。
最も笑ってしまったのは、作詞講座“あなたもゲンスブールになれる”というコラム。ゲンスブールの歌詞を分析した上で、それらしい歌詞を簡易的に作ってしまおうという面白企画。文の語り口も、出来上がった簡易歌詞も面白すぎて、音楽に対する偏愛を感じとることができる。

そして、モンド・ミュージックなるものへの苦言として次のように語っている─ 
いったいある作品の“正しい解釈”というのがあり得るのか、という問題(略)誤読の可能性は、読解の可能性そのものに属するものであり、それを消去することは不可能だ。だが、少なくとも、ある作者の狙った意図というものを、その時代、その文化的条件に於いては、それがどういう意味を担っていたか理解しようとしつつ、同時にそれを超えてメタ的に面白がる、という二つの視点を持つ姿勢は、やはり必要なのではないだろうか。そのことを全ての“モンド・ミュージック”愛好家が実践しているとは、必ずしも思えない節があるのだが……。
音楽はこうあらねばならないとか、こう聴かねばならないという定義などがあるわけもない。自由に楽しめばいい。しかし、それを愛するというのであれば、もっと深く掘り下げて嗜好せよ、とまぁ厳しい暗示。

このほかにも、数多くの論文が並んでいる。あまりの量と質に辟易してしまうかもしれないが、それ故に得るものも多い。しかも、提示された音楽も楽しめるため、まさに一石二鳥。ただし、大里俊晴という音楽学者と真摯に向き合う覚悟が必要だ。





2016年2月1日月曜日

音楽のピクニック

「音楽のピクニック(著:小杉武久)」を読みました

音楽のピクニック 概要
著者の小杉武久(1938年3月24日生)は東京出身、東京芸術大学音楽学部楽理科を卒業。フルクサスに参加し、マース・カニングハム舞踏団とも共演。タージ・マハル旅行団を結成し、後にマース・カニングハム舞踏団の常任音楽家として活動する。
エレクトリックなども積極的に用いて、即興演奏を中心に、マルチメディア音楽の作曲/演奏家として活躍する。
「音のピクニック」は1970年から1990年までに、小杉武久が雑誌やライナーノーツに出稿した著作物、あるいはインタビュー記事などを集約しまとめ上げたもの。
自身の音楽活動の経験が述べられているともに、音楽に対する姿勢や考え方が明示されている。
1991年8月10日に『書肆風の薔薇』から発行されたもので、かなり時代が経っていが、序文にはナム・ジュン・パイクの言葉が寄せられ、中身においては、コーネリアス・カーデューとのインタビューや阿部薫との経験譚などが載っており、前衛音楽を嗜好する者にとっては興味が尽きないことだろう。

▷ 小杉武久の演奏
2008年の横浜トリエンナーレで小杉武久の演奏を体験する。











素材になるものをいくつか選び、それらを組み合わせて、サウンド・システム、つまり発振器やエフェクターを色々つなぎ合わせたシステムをつくりあげ、それを用いて演奏します。
その時は単独での演奏。本にあるとおりエフェクターをつなぎ合わせ、即興的に音を出し引きしていたような印象だった。

私が考えている即興演奏はインド音楽やジャズのような形式性をもったものと違って、かなり不定型なもので、普通の音組織から大分外れたところからアプローチしています。例えば、私のよく使うヴァイオリン、これでメロディを弾くとすると、その時、私はメロディを「音のオブジェ」として演奏するのです。つまり不規則性をシステムにした複合音として……。そうすることで、全く予期しなかった音を楽器で作り出すことが出来ます。音楽活動を始めたばかりの頃、私は数人の友人と一緒に非常に自由な即興演奏を行なっていました。その頃考えていた事は、音楽を自動的なつまりオートマティズムの手法で演奏することでした。ちょうど、ジャクソン・ポロックの「アクション・ペインティング」のように……。
静かに登場した小杉武久は、静かに椅子に座り、何かつまみを動かしてゆっくりと音を出し始め、ノイズとも単一音ともいえない持続的なサウンドを奏で、静かにその音を消していき、静かに演奏を終えて、ほとんど説明もないままに、恥ずかしそうに消えていった。
音楽の演奏が単に音を目的としたものから離れて、アクションそのものになってゆくということもあります。(略)
音中心の音楽ではなくて、行為自体が演奏なのです。ダンスではないにしても、アクションや演奏者の動きに興味がゆけば、音を聞くと同時に物の動き方も観賞出来るはずです。音だけではなくアクション中心でもない、音とアクションが統合されたパフォーマンスです。
ギターにひもをくくりつけて、ギターそのものを動かして音を出すという小杉武久の作品「テンダー・ミュージック」の説明などを読むと、自分が体験しものとはずいぶん趣向が違うと感じてしまう。ただ、いずれの“作品”も聴いただけではつまらないことは明白だ。


小杉武久にとって作曲とは即興演奏であり、即興演奏こそが作曲であったようだ。
協奏曲の「カデンツァ」の部分などのように、その独奏者に自立的な即興演奏の場が与えられている場合があったとしても、演奏家の名人芸的な技巧を売り物にする「曲芸」的なものになり、本来の音たちの持つ自発的な<動き>の場ではなくなった。音楽はそのようにして、演奏者の曲芸的なスポーツになったり、あるいは作曲の構築物=「凍れる音」をいかに正確に支えていくかという職人芸をかかえこむようになる。
(略)対照的に、ジャズとかインド音楽は、音を<通常に変容するもの>として捉え、即興演奏の形式に音楽の在り方をおいている。メロディ・ラインはよく動き、リズムはよく揺れ、音は前もって予定されることが出来ない自由な羽撃きを持つようだ。これは「凍れる音楽」とは対照的に「燃える音楽」とでもいったら良いだろう。
そもそも、音楽に対する考え方が根本的に違う。単に、音を聴いたり聴かせたりすることだけが音楽ではないと主張する。
どんな音楽を作ろうか聴かせようかということよりも、どういったやり方で音を構築させようかということに興味を持っているようだ。
かつて私の友人K氏がこんなことを提案したものだ、即ち<地球の音を聞くこと>。 
狩人の弓の「ビューン」がハープの「ポロン」になり、はてはヴァイオリンやピアノの音に変貌する。
そして、音を様々な角度から捉えて、聴覚だけが音を捉えたり生み出したりするものではないということを主張する。
今、音ではない周波数の非常に高い二つの<波>があるとする。たとえば、毎秒91万回と91万2千回で振動する波、これらは電磁波であり、それ自体決して音として聴覚にひびくことはない。ところで、この二つの波がある電子回路の中でミックされると両者の間に干渉が起こり、この場合、その差として2千ヘルツの新しい波を産み、これは可聴帯域の波であるから、そのまま電気的に増幅しスピーカーから取り出せば、空気を動かし、音としてわれわれの聴覚にキャッチされることになる。これは一般には<ヘテロダイン>といわれる現象だが、耳には聞こえない(沈黙の)波がそれぞれの干渉の結果、第三の波としての音を産むということが、知覚にとっては、現象の異化としての楽しみを期待させる。この現象をプロセス化してとらえることにより、たとえば音楽と名づけられる現象の装置ができ上がる。 
インド音楽の形而上学的な理念によれば、伝統的に、音楽(サンギータ)は全宇宙としてのエンバイラメントの中に遍在する超越的な波動であり、音楽家は一種のアンテナと同調回路とを持つ受信器であり、自我の音楽を表現するというよりも、むしろ超越的な波動をとらえる媒体としてある、と考えられている。
半ば五感で音を捉えて、それを組み合わせながら形にしていく、インターメディアなるものを提示する。
聾人は音に触れ、みつめ、それを聞く。
盲人は風景を聞き、嗅ぎ、それを見る。 
ヘテロダインの現象において、異なった高周波の、耳に聞こえない二つの波動が第三の波として音波を産むように、波動の干渉のかたちは多様である。光すら音にならないものだろか? 今、ゆっくりと光量を変える光をある受光素子がキャッチし、その情報をこのゆっくりした超低周波のうねりに作用させると、うねりは光のゆっくりした変化につれて次第にその速度を変えてゆく。陽のかげりがうねりの速度をゆるめ、日差しがうねりを波立てる。ここでは、その波乗り演奏はさらに変容する光の波の干渉を受け、知覚は音として立ち現れている光の波に気づく。この複合的な媒体=波の相互作用の中に知覚が在るとき、知覚は、現象のトータルな顔が音という形をまとって現れている、ということを知る。だから音は現象のひとつの装置なのである。 
「エンバイラメントは不可視的である」(マクルーハン)ということは、現象における知覚の持つパラドックスに由来している。見えるものは視えないのだ。だから見えるものは聴いて見る、触って見る、嗅いで見る。インターメディア的思考が有効なのは、ここにおいてである。不可視的であり不可聴的でもある現象の複合的な装置。波動を聴覚に与えるならば、同時に視覚にも与えること。
▷ 小杉武久を取り巻く音楽
自分はながらで読書をする癖が身についてしまっていて、ひどいときはテレビを見ながら本を読んでいる。まぁそういうときは大概どちらもよく頭に入ってこないのだが…
この本を読んでいるときも、昔録画したコンサート映像を流していた。バーンスタイン指揮するマーラー交響曲第5番第2楽章の映像が流れ出した頃に、本の方はというと、ちょうどフルクサスのイベントでジョージ・ブレクトが披露した「ドリップ・ミュージック」と題した作品の注釈あたりを彷徨っていた。
一枚のカードに文字で、「滴り音楽。単独または複数のパフォーマンス。水の滴りのための水源と、ひとつの容器が用意されていて、水がその容器に落ちる」と記されている。

魅力的なその表記にたまらず Youtube を探るべくスマホにも手が伸びる。まさにインターメディアか─…我ながら陳腐…


この作品を見つつ聴きつつ、さらにマーラーを聴きながら見る。すると、言い知れず混沌としたエクスタシーみたいなものを感じてしまう。
まだまだ日常の音を純粋に楽しみ喜びを感じ切れていない未熟な自分ではあるけれども、凍結されてしまった音楽だけに縛られている感覚から、多少介抱されたような喜びを感じた。とまぁ回りくどい表現にするまでもなく、純粋に互いの音のぶつかり合いが面白かっただけなのだが─。

小杉武久が刺激を受けたであろう音楽たちも当然ながら紹介されている。そこには、「影響を受けた」と簡単には書かれてはいないけれども、読んでいて他の箇所とは明らかに異なった面白さを感じるわけで、好きなんだなぁというニュアンスが伝わってくる。

鳥が石を通過する
─チャーリー・パーカー暗喩(メタモルフォーゼ)考
即興の音楽=ジャズなどは飛行する音楽である。それは、あらかじめ決められたレールや道路の上をきめられた速度でしか走りえない二次元空間の音楽ではなく、空中を飛翔する音楽である。空間は四方八方に広がり、だから次元がひとつ多いこの三次元に飛行する音楽の旅(プロセス)はより多様であるかもしれない。音楽家=インプロヴァイザーはだから「鳥」であり、時には気流に乗って気ままに流され、時には気流にさからい、雲=やわらかい石を通過する。色んな「鳥」が居て、色んな飛び方をする、色んな時代に、色んな国に。鳥の居ない国、鳥の居る国、鳥の飛べない場所、鳥の飛べる場所。飛ぶのをやめた鳥、石にぶつかって死んだ鳥。……鳥になった馬。……翼を持った機関車。……石を通過する鳥……
 そんな「鳥」たちの中で、チャーリー・パーカーはとりわけその素早さとしなやかな飛び方で目立った存在であった。「ビ・バップ」という飛び方のスタイルもそれまでの「低空飛行」と違って、その高度と飛行範囲をぐっと広げているところが、なんともいいのである。人々はその飛び方に魅惑され、他の「鳥」たちもその飛び方を真似ようとした。
小杉武久が奏でる音楽は、決してチャーリー・パーカーとは相容れないものだとは思うが、バードが飛び回った即興音楽が半ば小杉武久を形づくっているのだと想像すると、なかなか面白いものがある。

小杉武久とは音楽性や好みが必ずしも合わないようなミュージシャンたちも登場してくる。明らかに水と油といった感じがするけれども、その反発し合う姿も、傍目から見ると非常に面白い、申し訳ないけど─。
特にコーネリアス・カーデューとの対話が面白くて仕方がなかった。
カーデュー 社会革命なしに音楽革命はできません。まず社会革命がおこってから、文化や政治のような上部構造がその結果変革される、ということです。しかし、最初は経済領域であり、そこをめざして工作する必要がある。一方、音楽の革命については、われわれが音楽において革命的とみなしてきたものはいつも、ただ前にあったものとちがうだけで、どんな方向とか、どのようにちがうとかということは問題にされなかった。われわれはいつも形式面でのちがいを開拓しようとし、聴衆との関係におけるちがいは問題にしなかった。だから、19世紀には19世紀の音楽をたのしむ特定の聴衆がいたのとちょうどおなじように、前衛音楽には前衛音楽をたのしむ特定の聴衆がいる──階級的状況がかぎられていることは以前と同じです。しかし音楽の革命は──われわれにはそれがどのようにおこるかはわからないが──、しかし今思うには、ケージがやったと言っているようなたぐいの革命はたいへん小さく、重要でない革命であり、事実、19世紀音楽の鑑賞に有効なことがケージの音楽の鑑賞にも有効なのです。わずかな変化はある。社会組織におこった程度のね。たとえば19世紀には、みんながロマンチックな恋愛とか、そんなことだった。今ケージの音楽では、すべてがテクノロジーの新しさとか、まったくでたらめな現象であるような環境なのです。こんなことは流行で──つまりこれが社会の達した段階なのです。19世紀にはロマンチックな恋愛、今はこれ、ところがそれはおなじ社会が発展しているだけなのです。われわれは現在望む変化は、その社会の一部ではない。おなじ方向に続けるのではなく、社会主義社会へむかって方向を変えることです。 
小杉 日本には<音の楽しみ>ということがあります。音楽ということばは、音のよろこびという意味で、だからバリ島の音楽や、インドの音楽に耳をかたむけるのは、その楽しみであり……。
カーデュー 外国へいって、遠いところの現象として見るのは、楽しみかもしれない。しかし、純粋な音のよろこびなどというものはないと思います。
70年代まさに東西冷戦真っ只中といった印象がする。といってもカーデューはイギリス出身なのに、何でこんなにも左よりなんだろうと思ってしまう。毛沢東を引き合いに出して語っていたからなー。

そして、日本のカリスマ阿部薫との共演した日の記述もある。
アベ・カオルとの記憶 
─1971年の夏─そしてその時も私は「ひとり」であった。阿部はひとりで遊んでいたし、私もその傍らでひとりでやっていた。それは音と音で合奏し合うという定型をはなれていた。そういったフリー・ミュージックであった。
なんだか情景が浮かぶような浮かばないような…まさに情熱と冷静の間か─。

そして最後は日本の作曲家、高橋悠治との対話で締めくくられる。
そこにはフルクサスから1990年現在に至るまでの活動姿勢が刻々と語られているわけで、これを読めば、まさに小杉武久の音楽に対する姿勢がハッキリと掴み取ることができるはずだ。
作品という場合、やっぱりそれは音楽の段階なんだよ。前からぼくはそうなんだけど、アンチ・ミュージックという立場で活動した。つまり反芸術的な立場、芸術自体に対する疑問と言うべきかな。だからアノニマスな音がどうこうということ以上に、音楽ということ自体すらもそこに持ってゆきたいと思うことはある。(略)音楽すら無目的な、アノニムな方へ持っていきたいというようなところがあるんだ。それが結局パフォーマンス、アクションを含めたようなものになっていく。だけど、今度はそれが芸術のモデルになり、そこからまた逃れたいという自分の意識が働いてくる。大本のところで一つの反芸術的な方法を求めるんだね。 
フルクサスはぼくにとって60年代の状況なんだよ。ネオ・ダダの動きとかもあったけど、それがやっぱりアートの制度になったような気がする。もちろんフルクサスのメンバーにはそういうことを思っていない人もいるし、それは最初から承知で、ずっとその人なりの方法を持って展開している人もいるけど、フルクサスは特にいまは美術館に入ったり売れたりしているわけよね。それはもう、フルクサスじゃないかもしれない。本当はそういった状況、事態を覆していくことがフルクサスなんだ。過去のフルクサスじゃなくて、いまどういうふうにフルクサスを展開するかということを、フルクサスがやるべきなんだ。ともかく、ぼくはフルクサス・イヴェントの作品をいくつか作ったし、それはさっきから話しているアノニマスなものをめざすときの一種の原点になってるわけだけれどね。 
そんな風にアートの制度に組み込まれるようなことがめちゃくちゃ起こってきたのがちょうど70年代、それにヒッピイズムとかもあった、そのときに仲間の偶然的なつながりが出来て、タージ・マハル旅行団という集団即興演奏のグループが出来たんだ。そのときははっきり意識してやってはいなかったんだけど、それは、ぼくにとって、フルクサスが制度化されたことへの反動あるいは反発かもしれない。やっぱりアートに対する反発なんだ。タージ・マハル旅行団は「遊び」だからね、「遊び」なんだけれど、巻き込まれていくんだ。たとえば「ピクニック・バンド」っていう名前をつけたりする。すでにもう名前をつけること自体が自由な遊戯性からは外れる事になっていく。構成メンバーはみんな無意識にそういうことを知っていたと思うんだけど。とにかく、70年から76年まで約7年間やってて、ものすごくおもしろかったんだけどね。遊戯性ということとアノニマスということとがつながってきたし、さっき言った、音楽という制度に対する反発とか、それから逃れるということとか……。でもぼくはまだそういうモデル、音楽というモデルの中で音楽をやっているわけだよね。そんな簡単にいかないんだな、これが。