2015年9月30日水曜日

書くことについて

「書くことについて(スティーブン・キング著、訳:田村義進)」を読みました

◇ 作家としての地位を確立するまで
私は覚えている。母親の言葉に無限の可能性を感じたことを。
“履歴書”の章での記述である。これから想像されるとおり、本の前半部分は著者が作家を志すきっかけと、成功するまでの苦労話が綴られている。そして同時に、それをもとにした経験的アドバイスなども網羅されている。
まだ剃る鬚もない若さでは、楽観主義は挫折に対する最高の良薬
決して家庭環境も恵まれていたわけでもなく、地道な努力の末に大きな成功を手にしたという著者は、あらゆる雑誌に原稿を投稿・応募しては不採用の連続だったという。
「何かを書くときには、自分にストーリーを語って聞かせればいい。手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ」(略)─ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。言いかえるなら、最初は自分ひとりのためのものだが次の段階ではそうなくなるということだ。原稿を書き、完成させたら、あとはそれを読んだり批判したりする者のものになる。
高校在学時にバイトをしていた週刊新聞の編集長が、上記にあるようなあらゆるアドバイスを著者にしてくれて、それらプロの意見が大いに参考になったことも書かれてある。
ものを書くということは孤独な作業だ。信じてくれる者がいるといないとでは、ぜんぜんちがう。言葉にする必要はない。たいていの場合は、信じてくれるだけで十分だ。
将来の伴侶との出会いも書かれていて、それが小説家として大成する上で非常に重要になったことが、徐々に明らかになってくる。
この前半部分の“履歴書”含め、全体的に、小説家を志している若者、スティーブン・キング愛するオールドファン、まだその名も知らないフレッシュマンなど、あらゆる方面の人々が読んで楽しめる内容だと思う。


◇ 作家としてのアドバイス
芸術というものはおしなべてテレパシーに依存している。その際たるものが文芸であろう。(略)
私はなにも奇をてらっているわけではない。あなたにどうしても伝えたいことがあるのだ。(略)
いい加減な気持ちで原稿に向かってはならない。
小説、小説家というものの考え方を提示して、ここから内容は書くことについての具体的な技術論へと展開していく。
文章を書くときに避けなければならないのは、語彙の乏しさを恥じて、いたずらに言葉を飾ろうとすることである。(略)
語彙に関しては、最初に頭に浮かんだものを使った方がいい(略)
必要とされるのは、事物の名を表す名詞と、事物の動作を表す動詞だけ(略)
文法は単なる頭痛の種ではない。それはあなたの思考を立ちあがらせ、歩かせるための杖なのだ。(略)
要するに基本重視の姿勢である。
受動態の使用はなるべく避ける方がいい(略)書き手が受動態を好むのは、臆病な人間が受動的なパートナーを好むのと同じだ。(略)
私が副詞を使う理由は、ほかの作家と同じだと思う。副詞を入れないと読者にわかりにくいのではないかという不安からだ。下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。
作家としての自信と覚悟を示す必要があるということなのだろう。
書くという作業の基本単位はセンテンスではなく、パラグラフだ。ここでは干渉作用が始まり、言葉は言葉以上のものになる機会を得る。内側から何かが動き出す瞬間があるとすれば、このパラグラフのレベルにおいてである。(略)いいものを書きたければ、パラグラフを使いこなさなければならない。そのためにはリズムを体得する必要がある。そのためにはトレーニングあるのみ。(略)作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。(略)読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。(略)読むことが何よりも大事なのは、それによって書くことに親しみを覚え、書くことが楽になるということである。
著者は生まれながらの天才などではなく、紛れもない努力の人だということがよくわかる。だからこそ、その言葉は、多くの人の心を捉え続けるのであろう。


◇ 小説を書くことについて
章が深まるにつれ、作家とし成功するための具体的な方策が提示されていくる。
小説は三つの要素から成り立っている。ストーリーをA地点からB地点へ運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述、読者にリアリティを感じさせる描写、そして登場人物に生命を吹き込む会話である。
大胆にも小説は上記のような要素で成り立っているとして上で、その具体的な内容がさらに述べられていく。
ストーリーは自然にできていうのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。(略)ストーリーとプロットはまったく別物(略)ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい。自宅に監禁しておくのがいちばんだ。
優れた描写というのは、すべてを一言で語るような、選びぬかれた少数のディティールから成り立っている。そして、それは真っ先に浮かんだものであることが多い。
ストーリーテリングの基本について(略)日ごろの鍛練が大事であるということ(鍛練といっても、それは楽しいものでなければならない)、正直さが不可欠だということだ。描写や、会話や、人物造形のスキルというのは、つまるところ、目を見開き、耳を澄まし、しかるのちに見たもの聞いたものを正確に(手垢のついた余計な副詞は使わずに)書き写すことにすぎない。
テンポのことを考えるとき(略)“退屈なところを削るだけでいい”という言葉を思い出す。(略)最愛のものを殺せ。たとえ物書きとして自尊心が傷ついたとしても、駄目なものは駄目なのだ。
背景情報に関するもっとも重要な留意点は、ひとにはかならず個人史があるということと、それは総じてさほど面白いものではないと言うことである。背景情報は面白いところだけとりあげ、そうでないところは無視した方がいい。
基本的な文章力でもってして、誠実にストーリーを綴っていけば、もしかしたら優れた作品が書けるかもしれないと言っている。
優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない。
プロットでもテーマなどでもなく、とにかくストーリーテリングだということだ。


◇ 後書き
この後書きには、書くことについての具体的なアドバイスなどは一切なく、著者の個人的な出来事や人生観といったものが語られている。故に、一見すると、本の趣旨に反したものに思えてしまうのだが、ここがまさに一番の読み所であった。
この本を書き上げるまでのあらゆる障壁が綴られており、著者自身にとっての書くことについての意義が明確に示されている。
私が書くのは悦びのためだ。純粋に楽しいからだ。楽しみですることは、永遠に続けることができる。
ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人を見つけるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊にし、同時に書く者の人生も豊にするためだ。立ちあがり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。
よいところだけ抽出して部分掲載すると、何か詭弁というか、真実みがないように見えてしまうかもしれない。しかし、「書くことについて」を読破したものにとってしてみれば、まさに幸せに生きるためにスティーブン・キングは書き続けているのだと、実感できる言葉なのだ。

あらゆる文章を作成する上で、この本が非常に有効であることは間違いない。そしてまた、スティーブン・キングの自伝としても十分に楽しむことができる、まさに一挙両得の本であった。

2015年9月29日火曜日

病牀六尺

「病牀六尺(著:正岡子規)」を読みました

◇「病牀六尺」とは
明治35年(1902年)5月5日から9月17日まで新聞「日本」に連載された、正岡子規による随筆。正岡の命日が9月19日であるから、本当に死の直前まで執筆していたことがよく分かる。
内容は、歌や句についてはもちろんのこと、画論や時評についても数多く述べられている。故に、正岡得意の俳句や和歌に興味がなくとも、明治という時代など歴史的背景に興味がある人ならば、それなりに楽しむことができると思う。
また、歌についても率直な正岡自身の意見とともに懇切丁寧な解説が成されているので、これが俳句などに興味を持つきっかけになるかもしれない。


▷「病牀六尺」の言葉 <俳句>
自分は、俳句とか和歌には全く興味がない。だから、その短い文章の中に込められている思いなど、容易につかみ取ることができない。枕詞など含まれている場合は、理解に苦しんでしまう。
そんな自分でも、正岡子規の俳句は分かりやすくて、素直に理解できた。
鳥の子の飛ぶとき親はなかりけり
─親を亡くした若者に正岡が贈った言葉
墨汁のかわく芭蕉の巻葉かな
芍薬は散りて硯の埃かな
五月雨や善き硯石借り得たり
─高級な硯を手に入れたものの、使えない気持ちを吐露したもの
鹿を逐ふ夏野の夢路草茂る
─新聞紙面を総選挙が賑わせているさまを表している
目的物を写すのには、自分の経験をそのまま客観的に写さなければならぬ
─正岡子規にとって俳句はまさしく客観描写のようなもの。それ故に分かりやすくて頭の中に入ってきやすい。ちなみに、正岡は植物などの静物画を描写することが好きであったようだ。
余の命の次において居る草花の画であった
─多くの画論を残しているだけあって、正岡子規の“草花の画”もなかなか見事なものである。


▷「病牀六尺」の言葉 <身近な物事>
明治という時代が始まってから147年。それが長いか短いか─。正岡子規という存在は確かに遠い。しかしながら、113年前に書かれたその文章を読むと、それが身近に感じてしまうから不思議なものだ。
丸の内の楠公の像
─病床が続き近頃の東京の様子を見ることができないことを嘆き、見たいものとして、現在皇居にある楠木正成の像を挙げている。自分はそこをしばしば走り抜けているので、一瞬、子規との時代を共有した気分になった。参考までにいうと、楠木正成像は明治23年(1891年)に献納されたという。
水難救済会はその会の目的が日常的なものであって今日の赤十字の如く戦時にのみ働くといふやうなものとは性質を異にしてをるにかかはらずかへって微々として振はんのは県官の誘導も赤十字社の如くあまねく及ばないのであるか、あるいは勲章めきた徽章のないためであるか、何にしても惜しむべき事であると思ふ。
─当時、日本には2、30ヵ所の救難所が設けられていた。それを正岡子規は少なすぎる、もっと増やして整備すべきだと述べたもの。水難救済会、日本赤十字社ともに現在も存在する組織。
明治維新の改革を成就したものは二十歳前後の田舎の青年であって政府の老人ではなかった。(略)何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であって、従来世の中に立って居った所の老人が途中で説を飜したために革命または改良が行はれたといふ事は殆どその例がない。
─もっとのだ。
ひとつの写真は右目で見たやうに写し、他の写真は同じ位置に居って同じ場所を左の眼で見たやうに写してあるのである。それを眼鏡にかけて見ると、二つの写真が一つに見えて、しかもすべての物が平面的でなく、立体的に見える。
─その時代、すでに3Dは存在していたわけだ。
教育は女子に必要である。
─明治維新後、ようやく女性の教育が叫ばれるようになった。正岡子規もそれを強く主張している。まるで現代日本で女性の社会進出が叫ばれているように…。
日本酒がこの後西洋に沢山輸入されるやうになるかどうかは一疑問である。(略)日本の名が世界に広まると共に、日本の正宗の瓶詰めが巴里の食卓の上に並べられる日が来ぬとも限らぬ。
─いまの日本酒ブームを予見しているかのようだ。

当然、いまの文化風俗と違った事柄も記されているのだが、このように現代とそれほど変わらない記述を目にすると、人の世などまだまだ一瞬のことでしかないと感じてしまう。


▷「病牀六尺」の言葉 <身近な物事>
本の題名のごとく、病気との激しい闘いが数多く綴られている。確かに、読んでいると辛くなってくるのだが、そのうちに床に伏していることさえも楽しんでやろうという気持ちがこちらによく伝わってくるためなのか、不謹慎とは思いつつも、滑稽な印象さえもってしまう。
悟りといふ事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。
体調が優れない日の記述。本は日めくりのように綴られているため、記述から体調の良し悪しが容易に察することができる。
「如何にして日を暮らすべき」「誰かこの苦を救ふてくれる者はあるまいか」 
この問いに正岡子規自身の答えは、よき看護人ということになっている。そして、病気で苦しんでいる自分を、客観的にいち病人と捉えながら、看護についての考察がたびたび成されていることも非常に興味深かった。
直接に病人の苦楽に関係する問題は家庭の問題である、介抱の問題である。(略)看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。(略)傍らの者が上手に看護してくれさへすれば、即ち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などは殆ど忘れてしまふのである。
看護、介護というものは、難しいものだとつくづく実感する。
病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。
正岡子規が半ば悟ったことなのかもしれない。
老母に新聞読みてもらふて聞く。振仮名をたよりにつまづきながら他愛もなき講談の筆記抔を読まるるを、我は心を静めて聞きみ聞かずみうとうととなる時は一日中の最も楽しき時なり。 
ここだけ読むと、微笑ましい日常風景のように思ってしまうかもしれないが、これは苦痛を和らげるためにのんだ麻酔剤が徐々に徐々に効いている状況を記しているものなのだ。


◇ しめくくり
命を賭した127日の記録。その中には膨大な情報量が詰め込まれている。
最後に、新聞「日本」に連載していた「病牀六尺」が100回目を迎えた項の冒頭を引用して、締めくくりとしたい。
○「病牀六尺」が百に満ちた。一日に一つとすれば百日過ぎたわけで、百日の月日は極めて短いものに相違ないが、それが余にとっては十年も過ぎたやうな感じがするのである。

2015年9月14日月曜日

脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方

「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方( 著:ジョンJ・レイティー/エリック・ヘイガーマン、訳:野中香方子)」を読みました

▷ 私事
 40も半ばにきている自分は、月100キロ走ることを自らに課している。体重管理で始めたウオーキングが物足りなくなり、走り始めてちょうど5年になる。
 体中の痛みや疲労感を乗りこえ、何とか習慣化しようと、靴や服装をいろいろ考えてみたり、長時間を走るための食生活を調べてみたり、走るルートをあれこれ考えいろいろと変えてみたり、あるいはランニング用のアプリケーションであったり時計であったり、様々な要素を用いて走ることへのモチベーションを上げていった。
 走っていく毎に、もっと気持ちを上げてくれるものを追い求め、いまも常に走るための何かを探し続けているような気がする。そしてその結果、この本に出会った。
 読んでみてなるほど、自分が走り続けてしまう理由がよく理解できた。そしてこれからも走り続けていくと確信した。


◇  対象者
 医学用語・専門用語が頻出することから、明らかに医療従事者や研究者をも対象にしていることがうかがえる。しかし、決して難解というわけでなく、むしろ自らの知識を高めるためにも有効ではなかろうか。
 また、うつとか、パニック障害、ADHD、依存症など精神的な病における記述が豊富であり、そういった面から、心の病や精神的問題を抱えているような人が読めば効果は絶大であろう。
 健康な人、今はまだ健康な人、そんな人は予防策として、あるいは将来の備えとして読んでいても損はないはず。

◇ 学びで鍛える前に運動で鍛える
 運動すれば天才になれるといったことが書かれているわけではない。運動することにより脳を作る重要な成長因子が分泌され、それにより脳が成長していく─つまり情報処理をする脳そのものが成長するために運動は強力な武器となると言っている。
 この脳を鍛えるという行為、つまり運動をするということは、脳が活性化され、気持ちも活発になり、学習する上でもプラスに働くという。
 つまり、運動は、体も鍛え脳も鍛え、気持ちも学習能力も高めてくれるというのだから、今すぐにでも体を動かしたくなるはずだ。

◇ 自分の運動を見つけること
 脳を鍛えるための運動として、かなりハードな運動を理想的だとしている。
週に6日、何らかの有酸素運動を45分から1時間するというのが理想だろう。そのうち4日は中強度で長めにやり、あとの2日は高強度で短めにする。
この理想を真に受けると続けていくことが非常に困難なように思えてくる。理想は上記のように書かれてはいるが、そうしなければならないとは決して言っていない。むしろ、個人個人続けていくことができる運動を見つけることを推奨している。
 ウオーキング、ランニング、自転車、エアロバイク、ランニングマシーン、水泳、パドリング、フィットネス、ダンス、ダンスダンスレボリューション…
 とにかく能動的に体を動かしたくなるような何かを見つけることが重要で、そのうえで個人個人の能力に見合った運動していくことが大事なようだ。
統計によると、運動を習慣にしようとした人の約半分は、半年から1年以内にあきらめてしまうようだ。意外でもないが、最大の理由は、いきなり高強度の運動を始めてしまうところにある。
続けて運動していくことが重要なようで、毎日でなくとも隔日でも、それを続けていけば、脳が活性化するのは間違いないようである。
 ダイエットや体を鍛えるために体を動かすのではなく、頭を鍛えるために体を動かすという意識を持ってみると、もしかしたら、今までと違った世界を見ることができるかもしれない。ぜひとも試してみてほしい。

 
 
 

2015年9月13日日曜日

気仙川

「気仙川(著:畠山直哉)」を読みました

◇ 映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』を見て
ひとつのドキュメンタリー映画を見た。そこには被災者としての葛藤、遺族としての葛藤、そして芸術家としての葛藤が描かれていて、3・11後に自分たちが見守っていかなければならない事柄は無数にあるのだと実感した。
あの日、日本中で、多かれ少なかれ、見えるもの見えないもの、誰もが何かしらの変化を感じとったはず。畠山直哉にとってその一つが写真であった─
「それらが震災によって意味が変わってしまった」
ふるさとを捉えた写真を眺めながらと畠山直哉が語っていた。至極当然のことであるとは思う。では、どう変化したのか?何となくは感じとる、しかし具体的にどのように変わったのか、その思いが自分を『気仙川』に向けさせたのだ。

◇ 記憶としての写真
「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ」
 『気仙川』のあとがきに記されていた畠山の言葉だ。非常に写真家らしい発言であり、実際に過去の作品を見るかぎりにおいて、その言葉を実感できる。
『気仙川』には震災前の写真が数多く載っている。それらを見ると、記憶を助けるための写真も撮っていたのではないかと思ってしまう。
確かに撮っていたはずだ。ただ、写真家としてそれらを発表してこなかった(するつもりもなかった)ということなのだろう。
作品として成り立ち得なかった写真が恣意的に並べられていて、一見まったく無意味な、何の意味も成さないかのように思ってしまう。しかし、それは一つの空白をおいて、その性質をがらりと変え、重要な意味やストーリーが形成されてくるのだ。
そこに何があったのか、その人はどんな顔をしていたのか、その時の空は、水はどんな色だったかを、写真から確かめたい。僕は初めてナイーブにそう思った。でもよく考えてみれば、これは人間によって、写真を撮る第一番の理由ではなかったろうか。夕空を映す気仙沼に向かって小さなカメラを構えていた、僕の母のように。
◇ 写真集としてではなく─
エッセイとして、ドキュメンタリーとして、写真集としてではなく、物語を読み解くように。ひとつひとつの写真そのものに魅力を感じなくても、そのひとつひとつに確かな意味が込められていることだろう。そしてこれからこの景色がどのように変わっていくのか、しっかりと見つめなくてはならない。そのためにも記憶としての『気仙川』が重要な役割を担うことになるだろう。

2015年9月11日金曜日

百年の孤独

「百年の孤独(ガルシア・マルケス著)」を読みました

◇ ガルシア・マルケスという作家を知る
ノーベル文学賞を受賞している偉大な作家を知ったきっかけは、安部公房の「死に急ぐ鯨たち (新潮文庫)」から。そこにまさしくこの「百年の孤独」が記されていて、ガルシア・マルケスという作家を知る。書店にて「百年の孤独」を手にするものの、その内容のボリュームに半ば辟易し、まずは多少手頃感を感じた「予告された殺人の記録 (新潮文庫)」を読んだ。そして「百年の孤独」に挑んで、あえなく撃沈…途中放棄…
無知な自分には、文章だけで綴られた未知なるラテンアメリカの描写と複雑なカタカナの固有名詞についていくことができなかった─という分析、というか言い訳…。

◇ 天に召されたその日
2014年4月17日、ガブリエル・ガルシア・マルケス86歳の生涯を閉じる─訃報を聞くに及び、再び「百年の孤独」に挑む。そして読破に1年半近くも費やしてしまった。
活字がびっしり埋め込まれたその文体と闘っていると、なぜだか、大江健三郎の「同時代ゲーム(新潮文庫)」を思い出してしまった。そう言えば、背景や内容も非常に似ている。ガルシア・マルケスに影響を受けた作家は多いと聞くから、間違いなく影響を受けたものなのだろう。
ともかくも、ガルシア・マルケスが天に召されたその日から、再び、偉大なる文学との格闘が始まった。

◇ 「百年の孤独」世界観
マカロニウエスタンと大草原の小さな家、素直に感じた世界観だ。埃っぽさを感じるその景色を背景に、土地を開拓しながら世代を越えて物語が展開する。
それにしても何世代のブエンディアが登場したのか、どんなに早く読みきったとしてもそれを正確に言及することは困難ではなかろうか。
今改めてこの本の解説などを散見すると、合計7世代の物語がそこにあったという。さすがに第1世代のことは記憶にあるとしても、2、3になるともはや記憶にすらない。
そもそも、登場人物の名前があまりにも酷似したものばかりで、読んでるこちらの混乱は極まりないもの。世代が変わろうとも歴史は繰り返されるという明確な意図は理解できるが、それにしてもかなりの忍耐力と知性が要求されるのは確か。
それら登場人物を細かく把握すると、複雑な人間ドラマを存分に楽しめるということもまた確かなこと。
そしてまた、一つの町というか世界というべきなのか、ブエンディア家とともに盛衰していく社会というものも堪能できることもまた醍醐味といえる。まさに人類の縮図がそこに収められている、そう感じた時、この物語の偉大さを実感できた。

◇ 「さらば箱舟」と「百年の孤独」
個人的には2の芸術作品に全く共通点を見出すことができない。前者は艶っぽくて煌びやか、独特の世界観で何ものをも寄せ付けない。かたや後者は、セピア色で常に暗い影をチラつかせながらも、すべてのものを内包していく。そんな印象を持っているために、前の原作が後だとはとても思えない。甲乙とかそういう観点からとらえることはできなくて、それぞれ全く別次元で論じられるべきものであろう。いずれの作品も難敵であることは確実だ。

以上、かなり道がそれた感があるが、あくまで個人的見解、個人的記録。





2015年9月2日水曜日

嫌われる勇気

「嫌われる勇気(著:岸見一郎・古賀史建)」を読みました

◇「嫌われる勇気概要
アルフレッド・アドラーの心理学を戯曲風というか物語風に分かりやすく解説してくれる一冊。書かれていることはごく当たり前のことかもしれないが、人生の指標となる事柄を改めて認識できる。

▷ わたくしごと(購入動機)
購入したのは今年の初め。書店でベストセラー1になっていたこの本を手にし、ユングとフロイトと並び称されるアドラーのことを少しでも知っておこうと思い購入。アドラーその人のことはあまり知ることはなかったものの、その思想は大まかにつかめたような気がする。

◇ やさしい物語を読むが如く
心理学のことや啓発的なことは多分に含まれていながら、難解な表現は皆無であり、しかもフィクションという形式をとっているのでなおさら読み切ることは難しくないはず。
平易な表現であるが故に、これは本当のアドラー心理学なのかどうか懐疑的に思ってしまう面は否めないが、入門書として捉えればここから何かが広がっていくことだろう。

▷ わたくしごと(響いた言葉)
自己肯定ではなく自己受容、すべての悩みは対人関係の悩み、課題の分離、われわれは同じではないけれども対等、いちばんいけないのは「このまま」の状態で立ち止まること、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは他者の課題で介入してはいけない、他者への貢献という導きの星さえ見失わなければ迷うこともないし何をしてもいい、以上が心に響いた言葉。決して難しい事柄ではないけれども、簡単なことでもない。

▷ わたくしごと(不満)
展開されている会話の主導権があまりにも一方的すぎて、後半は多少退屈な気持ちになった。また、非アドラー的な行為の具体例が提示されそれが否定された後、アドラー的行為とはどういうことなのかという提示があまりにも抽象的すぎて具体例が足りていないところが大いに不満。例えば─、子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけない、ではどうするのか?それは、勉強が本人の課題であることを伝え、必要とあれば援助する用意があることを伝える─とあるが、こちらが欲するものは「勉強しなさい」に相対するアドラー的言葉だったりする。そういったところがことごとく曖昧で、はぐらされている気持ちになってしまった。

◇ 嫌われる勇気とは
世界とは、誰か他の人が変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。だから、嫌われる人には嫌われても構わないという姿勢で、自由に生きていくべきだ、他者貢献という星だけは見失わないようにして─。