◇ 作家としての地位を確立するまで
私は覚えている。母親の言葉に無限の可能性を感じたことを。“履歴書”の章での記述である。これから想像されるとおり、本の前半部分は著者が作家を志すきっかけと、成功するまでの苦労話が綴られている。そして同時に、それをもとにした経験的アドバイスなども網羅されている。
まだ剃る鬚もない若さでは、楽観主義は挫折に対する最高の良薬決して家庭環境も恵まれていたわけでもなく、地道な努力の末に大きな成功を手にしたという著者は、あらゆる雑誌に原稿を投稿・応募しては不採用の連続だったという。
「何かを書くときには、自分にストーリーを語って聞かせればいい。手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ」(略)─ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。言いかえるなら、最初は自分ひとりのためのものだが次の段階ではそうなくなるということだ。原稿を書き、完成させたら、あとはそれを読んだり批判したりする者のものになる。高校在学時にバイトをしていた週刊新聞の編集長が、上記にあるようなあらゆるアドバイスを著者にしてくれて、それらプロの意見が大いに参考になったことも書かれてある。
ものを書くということは孤独な作業だ。信じてくれる者がいるといないとでは、ぜんぜんちがう。言葉にする必要はない。たいていの場合は、信じてくれるだけで十分だ。将来の伴侶との出会いも書かれていて、それが小説家として大成する上で非常に重要になったことが、徐々に明らかになってくる。
この前半部分の“履歴書”含め、全体的に、小説家を志している若者、スティーブン・キング愛するオールドファン、まだその名も知らないフレッシュマンなど、あらゆる方面の人々が読んで楽しめる内容だと思う。
◇ 作家としてのアドバイス
芸術というものはおしなべてテレパシーに依存している。その際たるものが文芸であろう。(略)小説、小説家というものの考え方を提示して、ここから内容は書くことについての具体的な技術論へと展開していく。
私はなにも奇をてらっているわけではない。あなたにどうしても伝えたいことがあるのだ。(略)
いい加減な気持ちで原稿に向かってはならない。
文章を書くときに避けなければならないのは、語彙の乏しさを恥じて、いたずらに言葉を飾ろうとすることである。(略)要するに基本重視の姿勢である。
語彙に関しては、最初に頭に浮かんだものを使った方がいい(略)
必要とされるのは、事物の名を表す名詞と、事物の動作を表す動詞だけ(略)
文法は単なる頭痛の種ではない。それはあなたの思考を立ちあがらせ、歩かせるための杖なのだ。(略)
受動態の使用はなるべく避ける方がいい(略)書き手が受動態を好むのは、臆病な人間が受動的なパートナーを好むのと同じだ。(略)作家としての自信と覚悟を示す必要があるということなのだろう。
私が副詞を使う理由は、ほかの作家と同じだと思う。副詞を入れないと読者にわかりにくいのではないかという不安からだ。下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。
書くという作業の基本単位はセンテンスではなく、パラグラフだ。ここでは干渉作用が始まり、言葉は言葉以上のものになる機会を得る。内側から何かが動き出す瞬間があるとすれば、このパラグラフのレベルにおいてである。(略)いいものを書きたければ、パラグラフを使いこなさなければならない。そのためにはリズムを体得する必要がある。そのためにはトレーニングあるのみ。(略)作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。(略)読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。(略)読むことが何よりも大事なのは、それによって書くことに親しみを覚え、書くことが楽になるということである。著者は生まれながらの天才などではなく、紛れもない努力の人だということがよくわかる。だからこそ、その言葉は、多くの人の心を捉え続けるのであろう。
◇ 小説を書くことについて
章が深まるにつれ、作家とし成功するための具体的な方策が提示されていくる。
小説は三つの要素から成り立っている。ストーリーをA地点からB地点へ運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述、読者にリアリティを感じさせる描写、そして登場人物に生命を吹き込む会話である。大胆にも小説は上記のような要素で成り立っているとして上で、その具体的な内容がさらに述べられていく。
ストーリーは自然にできていうのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。(略)ストーリーとプロットはまったく別物(略)ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい。自宅に監禁しておくのがいちばんだ。
優れた描写というのは、すべてを一言で語るような、選びぬかれた少数のディティールから成り立っている。そして、それは真っ先に浮かんだものであることが多い。
ストーリーテリングの基本について(略)日ごろの鍛練が大事であるということ(鍛練といっても、それは楽しいものでなければならない)、正直さが不可欠だということだ。描写や、会話や、人物造形のスキルというのは、つまるところ、目を見開き、耳を澄まし、しかるのちに見たもの聞いたものを正確に(手垢のついた余計な副詞は使わずに)書き写すことにすぎない。
テンポのことを考えるとき(略)“退屈なところを削るだけでいい”という言葉を思い出す。(略)最愛のものを殺せ。たとえ物書きとして自尊心が傷ついたとしても、駄目なものは駄目なのだ。
背景情報に関するもっとも重要な留意点は、ひとにはかならず個人史があるということと、それは総じてさほど面白いものではないと言うことである。背景情報は面白いところだけとりあげ、そうでないところは無視した方がいい。基本的な文章力でもってして、誠実にストーリーを綴っていけば、もしかしたら優れた作品が書けるかもしれないと言っている。
優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない。プロットでもテーマなどでもなく、とにかくストーリーテリングだということだ。
◇ 後書き
この後書きには、書くことについての具体的なアドバイスなどは一切なく、著者の個人的な出来事や人生観といったものが語られている。故に、一見すると、本の趣旨に反したものに思えてしまうのだが、ここがまさに一番の読み所であった。
この本を書き上げるまでのあらゆる障壁が綴られており、著者自身にとっての書くことについての意義が明確に示されている。
私が書くのは悦びのためだ。純粋に楽しいからだ。楽しみですることは、永遠に続けることができる。
ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人を見つけるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊にし、同時に書く者の人生も豊にするためだ。立ちあがり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。よいところだけ抽出して部分掲載すると、何か詭弁というか、真実みがないように見えてしまうかもしれない。しかし、「書くことについて
あらゆる文章を作成する上で、この本が非常に有効であることは間違いない。そしてまた、スティーブン・キングの自伝としても十分に楽しむことができる、まさに一挙両得の本であった。