2015年9月11日金曜日

百年の孤独

「百年の孤独(ガルシア・マルケス著)」を読みました

◇ ガルシア・マルケスという作家を知る
ノーベル文学賞を受賞している偉大な作家を知ったきっかけは、安部公房の「死に急ぐ鯨たち (新潮文庫)」から。そこにまさしくこの「百年の孤独」が記されていて、ガルシア・マルケスという作家を知る。書店にて「百年の孤独」を手にするものの、その内容のボリュームに半ば辟易し、まずは多少手頃感を感じた「予告された殺人の記録 (新潮文庫)」を読んだ。そして「百年の孤独」に挑んで、あえなく撃沈…途中放棄…
無知な自分には、文章だけで綴られた未知なるラテンアメリカの描写と複雑なカタカナの固有名詞についていくことができなかった─という分析、というか言い訳…。

◇ 天に召されたその日
2014年4月17日、ガブリエル・ガルシア・マルケス86歳の生涯を閉じる─訃報を聞くに及び、再び「百年の孤独」に挑む。そして読破に1年半近くも費やしてしまった。
活字がびっしり埋め込まれたその文体と闘っていると、なぜだか、大江健三郎の「同時代ゲーム(新潮文庫)」を思い出してしまった。そう言えば、背景や内容も非常に似ている。ガルシア・マルケスに影響を受けた作家は多いと聞くから、間違いなく影響を受けたものなのだろう。
ともかくも、ガルシア・マルケスが天に召されたその日から、再び、偉大なる文学との格闘が始まった。

◇ 「百年の孤独」世界観
マカロニウエスタンと大草原の小さな家、素直に感じた世界観だ。埃っぽさを感じるその景色を背景に、土地を開拓しながら世代を越えて物語が展開する。
それにしても何世代のブエンディアが登場したのか、どんなに早く読みきったとしてもそれを正確に言及することは困難ではなかろうか。
今改めてこの本の解説などを散見すると、合計7世代の物語がそこにあったという。さすがに第1世代のことは記憶にあるとしても、2、3になるともはや記憶にすらない。
そもそも、登場人物の名前があまりにも酷似したものばかりで、読んでるこちらの混乱は極まりないもの。世代が変わろうとも歴史は繰り返されるという明確な意図は理解できるが、それにしてもかなりの忍耐力と知性が要求されるのは確か。
それら登場人物を細かく把握すると、複雑な人間ドラマを存分に楽しめるということもまた確かなこと。
そしてまた、一つの町というか世界というべきなのか、ブエンディア家とともに盛衰していく社会というものも堪能できることもまた醍醐味といえる。まさに人類の縮図がそこに収められている、そう感じた時、この物語の偉大さを実感できた。

◇ 「さらば箱舟」と「百年の孤独」
個人的には2の芸術作品に全く共通点を見出すことができない。前者は艶っぽくて煌びやか、独特の世界観で何ものをも寄せ付けない。かたや後者は、セピア色で常に暗い影をチラつかせながらも、すべてのものを内包していく。そんな印象を持っているために、前の原作が後だとはとても思えない。甲乙とかそういう観点からとらえることはできなくて、それぞれ全く別次元で論じられるべきものであろう。いずれの作品も難敵であることは確実だ。

以上、かなり道がそれた感があるが、あくまで個人的見解、個人的記録。





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