2015年9月13日日曜日

気仙川

「気仙川(著:畠山直哉)」を読みました

◇ 映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』を見て
ひとつのドキュメンタリー映画を見た。そこには被災者としての葛藤、遺族としての葛藤、そして芸術家としての葛藤が描かれていて、3・11後に自分たちが見守っていかなければならない事柄は無数にあるのだと実感した。
あの日、日本中で、多かれ少なかれ、見えるもの見えないもの、誰もが何かしらの変化を感じとったはず。畠山直哉にとってその一つが写真であった─
「それらが震災によって意味が変わってしまった」
ふるさとを捉えた写真を眺めながらと畠山直哉が語っていた。至極当然のことであるとは思う。では、どう変化したのか?何となくは感じとる、しかし具体的にどのように変わったのか、その思いが自分を『気仙川』に向けさせたのだ。

◇ 記憶としての写真
「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ」
 『気仙川』のあとがきに記されていた畠山の言葉だ。非常に写真家らしい発言であり、実際に過去の作品を見るかぎりにおいて、その言葉を実感できる。
『気仙川』には震災前の写真が数多く載っている。それらを見ると、記憶を助けるための写真も撮っていたのではないかと思ってしまう。
確かに撮っていたはずだ。ただ、写真家としてそれらを発表してこなかった(するつもりもなかった)ということなのだろう。
作品として成り立ち得なかった写真が恣意的に並べられていて、一見まったく無意味な、何の意味も成さないかのように思ってしまう。しかし、それは一つの空白をおいて、その性質をがらりと変え、重要な意味やストーリーが形成されてくるのだ。
そこに何があったのか、その人はどんな顔をしていたのか、その時の空は、水はどんな色だったかを、写真から確かめたい。僕は初めてナイーブにそう思った。でもよく考えてみれば、これは人間によって、写真を撮る第一番の理由ではなかったろうか。夕空を映す気仙沼に向かって小さなカメラを構えていた、僕の母のように。
◇ 写真集としてではなく─
エッセイとして、ドキュメンタリーとして、写真集としてではなく、物語を読み解くように。ひとつひとつの写真そのものに魅力を感じなくても、そのひとつひとつに確かな意味が込められていることだろう。そしてこれからこの景色がどのように変わっていくのか、しっかりと見つめなくてはならない。そのためにも記憶としての『気仙川』が重要な役割を担うことになるだろう。

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