2015年12月17日木曜日

父と暮せば

「父と暮せば(井上ひさし著)」を読みました

▢「父と暮せば」概要
1994年初演の舞台作品、2001年に新潮文庫として初版、2004年に映画化。1997年にはフランス語訳でフランス各地で上演されるなど、海外でも評価されている。
内容は、広島原爆投下を題材に二人の登場人物だけで展開されている。
日本語における原作は、広島弁を大いに活用している。文章化された方言を読むことは多少のつらさを覚えるし、その表現が本当に正しいのかどうかもよく分からないところがある。現に、広島出身者からも違和感を持つような感想などが報告されている。
ただ、この作品の本来の姿は舞台であるわけだから、活字だけで評価してしまうことは早計なのかもしれない。海外訳でも評価されている現実を見ると、根底にある主題がよく伝ったことが重要なのかもしれないと、作者自身も語っている。
文章で堪能する場合は、自分なりの広島弁を頭に響かせながら読み進めることが賢明なのかもしれない。


▷「母と暮せば」を見るために
おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう
前口上として、井上ひさしが書き残した言葉です。
ナガサキにあたるのが「母と暮せば」という題名の作品、そういう発言を残したまま志半ばで他界した作家の遺志を継ぎ、映画という形でナガサキを描いたのが山田洋次監督です。偉大な芸術家らが伝えたかったことを深く明確に捉えるためには、「父を暮せば」を読み(あるいは見てから)、その上で「母と暮せば」を見るべきだと、勝手に自分の中で思ってしまいました。
そうしてみた今、この自分勝手な決めごとは、正しかったと思えます。
広島の上空580メートルのところで原子爆弾ちゅうもんが爆発しよったのは知っちょろうが。爆発から1秒後の火の玉の温度は摂氏1万2000度じゃ。やい、1万2000度ちゅうのがどげえ温度か分かっとんのか。あの太陽の表面温度が6000度じゃけえ、あのとき、ヒロシマの上空580メートルのところに、太陽が、ペカーッ、ペカーッ、二つ浮いとったわけじゃ。頭のすぐ上に太陽が二つ、1秒から2秒のあいだ並んで出よったけえ、地面の上のものは人間も鳥も虫も魚も建物も石灯籠も、一瞬のうちに溶けてしもうた。(略) 
……非道いもんをおとしおったもんよのう。人間が、おんなじ人間の上に、お日さんを二つも並べくさってのう。
日本で生活している人々は、もはやこの国が被爆国であることを忘れてしまっているのではないか、自分も含めて…、昨今そう思わざるを得ない事柄が次々起こっている気がします。福島原発事故がまさにその象徴のようなもの─、原発を電力の主軸にし、事故を起こし、それでもなお原発を捨てようとしない、いずれ核兵器を持つことにも抵抗を持たなくなるかもしれません。
原爆の本当の恐怖を知っているのは、日本で生活している人でなければならないはずだと思います。悪魔の太陽に焼かれて死んでいった人たちを知っているはずで、原爆病という見えない恐怖と闘い死んでいった人たちのことも知っているはずです。
戦後、見事に復興したその前に、そこまでの苦労の事を、生き残ったそして今生き残っている・今現在日本の中で生きている人々のどれだけが、本当に理解しているのか疑問に思います。
「なひてあんたが生きとるん」
「うちの子じゃのうて、あんたが生きとるんはなんでですか」
うち、生きとるんが申しわけのうてならん。
うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。じゃけんど死ぬ勇気もないです。
原爆の悲劇は、散っていった人たちや被った人たちばかりでなく、生き残った人たちにも大きな影響を与えているということを、「父と暮せば」「母と暮せば」という偉大な作品でもう一度自覚しなければなりません。


▷ ふたつの作品、その感想(※ネタバレになるかもしれません)
「父と暮せば」は短い戯曲だったので、読みづらさを感じつつも、すぐに読み切ることができました。ゆえに、映画「母と暮せば」を見ようとしていてまだこの戯曲を読んでいない人には、事前の読破を強くすすめたいところです。
生き残った者の葛藤、生き続けていくこと、そのテーマを身に染みて感じることができました。これら作品を見て、いわゆる核のボタンなるものを押せるのか、そう問いたくなるわけで、そう思うと、ぜひとも核保有国において広く堪能されてほしい作品だと思います。
しかし、フランスでは10年以上も前に演劇が上演されているわけで、だからといって核兵器を捨てるわけでも原発を捨てるわけでもないし、ましてや日本においては原発事故まで起こしてしまう始末であるわけだから、一個人がどれほど心を動かされようが、何も変わらないのかもしれません。
ふと思います。
もし、2010年に他界している井上ひさしが福島原発事故を目撃したのならば、どのように感じたであろうか─。
「父と暮せば」は希望に向かって歩み出す人間像で終わっています。一方、「母と暮せば」では悲しい結末が待ち受けています。エンディングの映像自体は非常に煌びやかに演出されているものの、内容そのものは悲しみ以外の何ものでもありません。
吉永小百合演じる福原伸子は、二宮和也演じる福原浩二に導かれながら旅立っていくけれども、実際は孤独死でしかなく、あの演出は山田洋次監督の優しさでしかないのです。
原爆には何もいいことはありません。
井上ひさしは希望をもって終わらせました。
山田洋次は絶望でありながらも希望を持たせつつ終わらせています。
次なる作家は、次は福島を扱うのかどうか分からないけれども、どのような結果を描こうとするのか、それはこれからの日本に生きる我々の振るまい方次第だと思います。
決して絶望だけにはしたくないものです。
「父と暮せば」がおとぎ話とか昔話にならないことを祈るばかりです。祈るばかりでなく、そうならないように振る舞っていかなければなりません。





2015年12月11日金曜日

日本語練習帳

「日本語練習帳(著:大野晋)」を読みました

▢「日本語練習帳」概要
新書版で薄い本。しかし、中身は濃い。
問題形式になっているため、読破には予想以上の時間を費やす。見た目以上に手強い本ではあるが、文法など概念的要素を重視するのではなく、あくまで文章の捉え方・作り方を重視しながら新聞の社説や実際の小説などを題材にしているため、より実践的に日本語能力を鍛えていくことができるだろう。
1999年に発表され大ベストセラーとなり、いまだに読まれ続けている。確かに、薄くて挑みやすそうに見えるため、多くの人がこぞって読もうとするのかもしれない。
しかしながら、ただ読むという行為だけでは処理しきれないのがこの本の濃い部分。文や文字について能動的に挑もうとしなければ、この本を読む意味が半減してしまう。
しかも、これは単なる始まりに過ぎない。これをきっかけにして、明日の新聞社説や本棚にある小説を題材に、文章能力を鍛えていかなければ、これを読む価値はない。
それと同時に言えるのは、文章能力に絶対の自信がある人は、読む必要はだろう。

▷ 単語に敏感になる
考える、思う、その違いは何か…。自分にとってそんなのはどうでもよいことであった。本も活字もそれほど積極的に活用してこなかったため、単語に対する微妙なニュアンスなど全く考えずに、文章を読み、文章を綴ってきた。
それはそれで、理解可能であり伝達可能でもあるだろう。しかし、深く文章を理解し、自分の考え・思っていることを正確に伝え切れていたのか、大いに疑問に思ってしまう。
会話の中で、喋っていることが伝わっていないと感じたことは誰にでもあるだろう。それはお互いの考えや捉え方の相違というものが原因かもしれないが、もしかしたら自ら発している言葉がまずいのでは? まずは、そう考えるべきかもしれない。
こうやって自分の考えや思いを文章にしているときに、果たしてどのくらい正確にそれを表現して切れているのか、今一度ひいた目で自分自身の文章能力を眺めてみると、寒気を覚えてしまった。
今この瞬間の思いを正確な語彙として本当に表現しきれるのか? そう考えたとき、自ら持っている語彙の貧弱さに愕然とせざるを得ない。
いまある自分の日本語能力をここで自覚し、そして、その能力を高めるべく、鍛えていかなければならない、この本を読み終えて、そういう思いでいる。

▢ 自らを奮い立たせる著者の言葉の引用
言葉は制度とか決まったものとかではない。しかし思うままに造形する絵画のような、主体性だけによってなされる表現行為でもない。言葉には社会的な規範がある。その規範にかなう形式に従わなければ、主体的に自分の気持ちや事柄を相手に表現することはできない。受け手は規範に従って表現を受け取り、理解につとめる。聞くことも読むことも、主体的な能動的な行為です。それは規範に従うことを通して成り立つ。言語とはそういう表現行為、理解行為の全体をいうのではないか。(中略)言葉は天然自然に通じるものではなくて、相手に分かってもらえるように努力して表現し、相手をよく理解できるようにと努力して読み、あるいは聞く。そういう行為が言語なのだと私は考えています。
この著者の言葉を糧に、生涯、言葉を理解していこうと心に誓う。


2015年11月20日金曜日

チェルノブイリの祈り 未来の物語

チェルノブイリの祈り 未来の物語 (スベトラーナ・アレクシエービッチ著、松本妙子[訳])を読みました

▢ スベトラーナ・アレクシエービッチについて
ウクライナ生まれで現在ベラルーシの国籍を持つジャーナリスト。父親がベラルーシ出身で母親がウクライナ出身。
2015年ノーベル文学賞を受賞、ジャーナリストとしては初の受賞。
「戦争は女の顔をしていない」は第2次世界大戦に従軍した女性の関係者を取材したもの、「ボタン穴から見た戦争」は第2次大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々を取材したもの、「アフガン帰還兵の証言」はアフガニスタン侵攻に従軍した関係者や家族を取材したもの。
現在、容易に入手できる日本語訳は「チェルノブイリの祈り」のみ。非常に残念なことではあるが、図書館などを利用すると、意外とアレクシエービッチの本は見つかる。

▢「チェルノブイリの祈り」概要
1997年刊行、翌年日本語訳が出る。
文字通り1986年に発生したチェルノブイリ原発事故のことを綴ったもの。主に取材した関係者の声を文章化したもの。
著者の気持ちの語りとして文章化されて、この作品における趣旨が提示されている。
この本はチェルノブイリについての本じゃありません。チェルノブイリを取り巻く世界のこと、私たちが知らなかったこと、ほとんど知らなかったことについての本です。(略)
この本は人々の気持ちを再現したものです。事故の再現ではありません。
取材報告という形式でありながら、ここにあるのは個々の主観でしかない。客観的事実というものは、ここには皆無であるといっても過言でなく、事故についての客観的事実を知りたければ他の書物を参考にした方がいい。
あくまでこれは文学として評価されるべきものであり、それ故のノーベル文学賞なのだと理解できる。

▷「チェルノブイリの祈り」から思うこと
非常に心が揺さぶられました。事故そのもののこと、原発そのもののこと、フクシマのこと、日本の将来のこと…考えさせられることがたくさんあったように思います。
そもそも、チェルノブイリというのはどこにあったのか─。今さらながらなんですけれど、ソ連としか答えることができない人が多いはず。確かに事故当時はソ連であり、現在で言えばウクライナにあり、しかもベラルーシとの国境沿いに非常に近く、国土が最も汚染されたのは現在のベラルーシだという事実など、全くの無知でした。
事故当時、日本でもチェルノブイリの放射性物質が観測されたものの、対岸の火事という思いは拭い去れなかったような気がします。それがいま、日本にとってしてみれば間違いなく他人事ではないわけです。
…ごくふつうの、たいしたことのない男。(略)ところが、ある日、この男が突然チェルノブイリ人に変わるんです。
「りんごはいかが、チェルノブイリのりんごだよ」。だれかがおばさんに教える。「おばさん、チェルノブイリっていっちゃだめだよ、だれも買っちゃくれないよ」「とんでもない、売れるんだよ。姑や上司にって買う人がいるんだよ」
すてられた家。ドアに貼り紙。「親愛なる方へ、貴重品をさがさないでください。私たちの家にはなにもありません。なんでも使ってください。でも取っていかないで。私たちはもどってきますから」。
だれもなにひとつ理解していなかった。これがいちばん恐ろしいことです。放射線測定員がある数値をいう、新聞に載るのは別の数値だ。
新聞記事の断片が記憶にちらついた。わが国の原子力発電はぜったいに安全である。赤の広場に建てることも可能だ。
ぼくら1000万人のベラルーシ国民のうち、200万人以上が汚染された土地でくらしている。悪魔の巨大実験室です。データの記録も実験も思いのままですよ。各地から訪れては学位論文を書いている。モスクワやペテルブルク、日本、ドイツ、オーストリアから。彼らは将来に備えているんです…。
これらの記述を目にすると、間違いなく福島原発事故のことを想起するし、これほどの警告が事前に発せられていたにもかかわらず、私たち日本人は何もできなかったと言わざるを得ません。
原爆を落とされながら、原発を推進させて、さらに原発事故を引き起こし、それでもなお原発を無くそうとしない我々にとって、チェルノブイリからの声というものは果たして必要がないものなのでしょうか?
あなたの前にいるのはご主人でも愛する人でもありません。高濃度に汚染された放射性物体なんですよ。
どんな小さな縫い目でもからだに傷ができました。 
あなたは原子炉のそばにすわっているのよ
ぜんぶ私のもの、私の大好きな人
遺体は放射能が強いので特殊な方法でモスクワの墓地に埋葬されます
私があなたにお話ししたのは愛について。私がどんなに愛していたか、お話ししたんです。
これらはチェルノブイリ事故で消防にあたって亡くなった妻の言葉です。確かに、福島事故とは質が違うもので、あまり共通点を見いだせないかもしれません。しかしながら、原発事故での被曝というものは広島・長崎の原爆同様に悲惨なものであり、福島ではたまたまそうならなかっただけで、これから未来においても同様な状況が生まれる可能性があるということを示唆しているわけです。なぜならば、日本には原発が存在するからです。
チェルノブイリと同様のことが起こったとしたら…その悲しみは計り知れないと言うことを、我々はこの本から学ばねばならないのです。
ぼくらが失ったのは町じゃない、全人生なんだということ。
福島から避難している人たちも、同様の思いであると察せられます。

ところで、サマショールという言葉をご存じだろうか? 自分は勉強不足で、この本に接するまで無知でした。
チェルノブイリ事故で強制疎開の対象となった村に自分の一存で帰ってきて住んでいる人のことを、そのように言うのだそうだ。
放射能はどんなものなの? もしかしたら、いつかそんな映画があったの? あなたは見なさった? 白いの、それともどんなの? どんな色? 色がないんなら、神さまのようなもんだね。神さまはどこにでもいなさるが、だれにも見えない。おどかすんだよ。でも、庭にはリンゴがなってる。木には葉っぱ、畑にはジャガイモがある。チェルノブイリなんていっさいなかったんだと思うよ。でっちあげよ。住民はだまされちまったんだ。
ぼくたちは知っている。動かせる物はすべて盗まれ、持ち出されてしまっていた。汚染地がまるごとこちらへ運んでこられたんです。自由市場や、委託販売店、別荘をさがしてみてください。有刺鉄線の向こう側に残っているのは土地だけです。それと、墓。 
土地を奪われた不安というものは、当事者でない限り真に理解するのは難しい。立ち入り禁止区域になぜ戻っていくのかも、そこに住んでいなければ分からないことなのかもしれない。
おとなしくて口数の少なそうな男の子でしたが、赤くなり、くちごもりながら聞いたのです。「どうしてあそこに残っている動物を助けちゃいけなかったの?」ぼくは答えられなかった。ぼくらの芸術は人間の苦悩と愛に関することだけで、このもうひとつの世界におりていこうとしない。なのに、人間はあらゆる生き物にむかってチェルノブイリをふりあげてしまったんです。 
最近私の弟が極東から遊びに来ました。「お兄さんたちは、ここで『ブラックボックス』のようだな。『人間ブラックボックス』だよ」という。『ブラックボックス』というのは、どの飛行機にあっても、飛行中の全情報が記録されるのもです。ぼくらはこう思っている。生きている、話をしている、歩いている、車に乗っている、愛しているとね。ところが、ぼくらがしていることは情報の記録なんですよ!
4年後に初めて、娘の恐ろしい異常と低レベルの放射線の関係を裏づける診断を発行してくれました。4年間拒否され、同じことをいわれてきました。「あなたのお子さんは普通の障害児なんです」
老婆が教会でお祈りをしている。「私たちのすべての罪を許したまえ」。だが、学者も技師も軍人もだれひとりとして自分の罪を認めようとしません。「私には悔い改めることなどなにもない。なぜ私が悔い改めなくてはならないのかね?」。そういうことなんです。
「ウランの崩壊、ウラン238の半減期ですが、時間に換算すると10億年なんですよ。トリウムは140億年です」。50年、100年、200年、でもその先は? その先はぼくの意識は働かなかった。ぼくはもうわからなくなったんです。時間とはなにか? ぼくがどこにいるのか?
私たちはプリピャチ市に住んでいました。原発のすぐ近くに。暗赤色の明るい照り返しが、いまでも目のまえに見えるんです。原子炉が内側から光っているようでした。普通の火事じゃありません。一種の発光です。美しかった。こんなきれいなものは映画でも見たことがありません。
同級生はみな息子をこわがり、<ほたる>とあだ名をつけたのです。
チェルノブイリ、そして、まだ経験したことのない新しい感情、私たちひとりひとりには個人の生活があるんだということ、それ以前は、必要ないと思っていたことを、こんどは人々は考えはじめたのです。自分たちがなにを食べるか、子どもになにを食べさせるか、健康に危険なものはなにで、安全なものはなにか? ほかの場所に引っ越すべきか、否か? ひとりひとりが決めなくてはなりませんでした。ところが、私たちが慣れていたのはどんな生活? 村単位、共同体単位、工場単位、集団農場単位の生活です。私たちはソ連的、集団的人間だったのです。
農村の人たちがいちばんきのどくです。(略)彼らはなにが起きたか理解できず、学者や教育のある者を信じようとしたのです、司祭を信じるように。ところが、くり返し聞かされたのは「すべて順調だ。恐ろしいことはなにもない。ただ食事のまえに手を洗うように」。私はすぐにはわからなかった、何年かたってわかったんです。犯罪や、陰謀に手をかしていたのは私たち全員なのだということが。
旧ソ連の各原発の金庫には事故処理プランがおさめられていました。標準的プランで、極秘扱いです。このプランがないと発電所を稼動する許可が得られないのです。事故の何年もまえのこと、プラン作成のモデルとなったのが、まさにこのチェルノブイリ発電所だったのです。なにをいかになすべきか、責任者はだれか、どこにいるべきか、と細部にわたっています。そして、とつぜん、このチェルノブイリ発電所で大惨事が起きた。これはどういうことなんだろう、偶然の一致なのか?
ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。
最後の核弾頭が廃棄処分されても、原爆はなくならないでしょう。知識は残るのです。
認めなくてはなりません、起こったことをだれも信じていなかったと。学者でさえも信じることができなかったのです。こんな例はないんですから。わが国だけではなく、世界のどこにも。
お忘れになったのですか、チェルノブイリ以前は原子力は平和な働き手と呼ばれ、われわれは原子力時代に生きていることを誇りに思っていたじゃありませんか。
あなたはお忘れなんですよ。当時、原子力発電所は未来だったんです。われわれの未来だったんですよ。
私たちは入院していたの、とても痛かったから、ママに頼んだの。「ママ、がまんできない。殺してくれたほうがいいわ」
確かに、これらの声を読むと、共産圏で発生した異常な出来事であることがよく分かる。しかし、決して別世界のことだと片づけることができない。とくに我々日本人は、紛れもなく当事者であり、すべての声に福島との共通点を見いだすことができるはずだ。

2015年現在、福島原発事故から4年─。あと6年ほどして10年後になると、福島からの祈りが発せられてくるのだろうか。
どんなに悲しい状況が語られたとしても、悲しいかな、同様の出来事は繰り返されるような気がしてなりません。
原子力というものを手にした時点で、もはやこの呪縛から逃れられない運命にあるのでしょう。そうであるのであれば、せめて「チェルノブイリの祈り」にある“孤独な人間の声”を真摯に受け止め、その出来事における悲しみはどんなものかということをしっかりと認識しておかなければならないと思います。
決して拭い去ることができない人類の悲しみというものは、チェルノブイリだけにあるのではなく、全世界に存在しているのです。








2015年11月4日水曜日

ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石

「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石(著:伊集院静)」を読みました

▢「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」について
1887年(明治20年)正岡子規21歳から、1902年(明治35年)子規34歳没までの物語。東京大学予備門から帝国大学時代、新聞「日本」入社から「小日本」の編集、「ホトトギス」の編集、「墨汁一滴」から「病牀六尺」まで、それらの期間に起こったであろう出来事が中心にストーリーが展開していく。
子規こと正岡常規は百ほどもの別名を考えたという。1889年、大喀血をし肺病と診断され次のような句を詠んだ。
卯の花をめがけてきたか時鳥(ほととぎす)
卯の花の散るまで啼くか子規(ほととぎす)
以降、子規と名乗った─、そんなエピソードなどを夏目漱石とのやりとりを絡めて描いている。
漱石こと夏目金之助は、正岡子規が著作した「七草集」の批評の中で初めて漱石の名を用いた。漱石とは漱石枕流という中国の故事に由来するもの。その漱石という名は、子規が最初に使用した別名であったが、夏目金之助がさりげなくその名を受け継いだ。
子規と漱石は、幼なじみでもなかったし、出会ったのも予備門時代からであり、ともに騒がしく遊ぶでもなく、会話もそれほど盛んだったとはいえないようだ。しかしながら、ともに互いを一番の理解者であると感じていたようだ。

▷ 個人的な楽しみ方
自分が「ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石」を読もうとしたきっかけは「病牀六尺」を既読後からだった。二つの作品を照らし合わせて読むと、非常に面白かった。正直、「病牀六尺」には所々理解しかねる事柄があった。それを補うかのように「ノボさん」を読み始めたわけだ、失礼な話ではあるけれど…。
小説「坂の上の雲」ドラマ「坂の上の雲」も観賞済みであったから、いまさらという気が大いにしていた。正直読みながら常に香川照之の映像が頭に浮かんでいたし、必死に秋山真之の文字を探していた。
確かに、描かれている正岡子規像は想像の域を出ないもの。だから、駄目というわけでもなく、むしろだからこそ楽しめた側面もあった。子規に関する情報は事前に把握していたために、余計、他の物事に関する情報を吸収できたような気がする。
ストーリー展開は周知のもの。子規以外のことをいかに楽しむか、それがこの本の醍醐味。夏目漱石とのやりとりというのもその中に含まれることではあるけれども、もっとも心を動かされた事柄は、母・八重の描かれ方かもしれない。彼女が最後に発した言葉の信憑性は分からないけれども、非常に説得力があった。そして、涙した。


2015年10月21日水曜日

伊藤計劃記録『映画評』

「伊藤計劃記録(著:伊藤計劃)」の『映画評』を読みました

▢「伊藤計劃記録」について
2010年3月20日印刷25日発行。
故人が残した短編小説や未完の「屍者の帝国」、散文やインタビュー、映画評などをまとめたもの。

▷ 伊藤計劃への思いから
故人と多少の面識があったものの、その死を知ったのは数年前の某夕刊紙面であった。計劃という名前は初見ではあったが、大きな笑顔で写っているその写真は間違いなく知っている顔であった。
知っていた人が知らないうちに有名になって知らないうちに旅立っていた─、その後、故人が知らないところで賞を取り知らないところでプロジェクトが進んでいる─、何か自分の中の現実世界において、伊藤計劃という部分だけが架空の出来事のように展開しているようだ。
故人を再発見し、すぐさま「虐殺器官」「ハーモニー」そしてこの「伊藤計劃記録」を手にした。長編2作は超SF、自分の趣味とは水と油のように思いつつも、その意識も読まず嫌いのようなもので、内容はなかなか楽しめた。映画もこれからだしワクワクドキドキがどんどん高まっている。
「伊藤計劃記録」の中には未完の「屍者の帝国」が載録されている。あまりにも短すぎる未完作とはいえ、公開されているアニメ映画のイメージというか世界観というものは提示しきっているように思えた。完成した映画を、果たして、伊藤計劃はどのように批評したことだろう。

▢『映画評』について
これは故・伊藤計劃が個人的に開設していたウェブサイト「SPOOKTALE」の「CINEMATRIX」というインデックスに投稿された映画批評を抜粋し、書籍として纏められたもの。それらは現在もウェブ上で確認可能だ。
キネマトリックス@スプークテール:インデックス
 映画批評っていうのはレビューではない。もっと体系的だし、少なくともウェブに溢れる「面白い」「つまらない」といった感想程度のゴシップではない。
 批評とはそんなくだらないおしゃべりではなく、もっと体系的で、ボリュームのある読みものだ。もっと厳密にいえば「〜が描写できていない」「キャラクタターが弱い」「人間が描けていない」とかいった印象批評と規範批評の粗雑な合体であってはいけない。厳密な意味での「批評」は、その映画から思いもよらなかったヴィジョンをひねり出すことができる、面白い読み物だ。
このように述べているとおり、観賞の有無に関係なく、その論じている文章が非常に面白い。勿論、すでに視聴済みであるならば、頷いたり反駁したりニンマリするだろう。あるいは未経験のものでも非常に興味をそそられ、それをもとにレンタル・購入・視聴等してみても損はない。著者の意図するところは、読者に映画へと誘うことであるわけだから、見たくなるのは至極当然なのだ。
掲載されている映画は31本。果たして何本経験しているか─
スターシップ・トゥルーパーズ(1998)
プライベート・ライアン(1998)
トゥルーマン・ショー(1998)
アルマゲドン(1998)
ガメラ3・邪神<イリス>覚醒(1999)
エネミー・オフ・アメリカ(1999)
ブレイド(1999)
アイズ ワイド シャット(1999)
マトリックス(1999)
金融腐蝕列島 呪縛(1999)
ワイルド・ワイルド・ウエスト(1999)
ファイト・クラブ(1999)
御法度 GOHATTO(1999)
シュリ(2000)
スリーピー・ホロウ(2000)
人狼・JIN-ROH(2000)
アイアン・ジャイアント(2000)
グラディエーター(2000)
インビジブル(2000)
ダンサー・イン・ザ・ダーク(2000)
アヴァロン(2001)
回路(2001)
ザ・セル(2001)
ハンニバル(2001)
スパイ・ゲーム(2001)
マイノリティ・リポート(2002)
ボーン・アイデンティティー(2003)
ロード・オブ・ザ・リング〜二つの塔〜(2002)
リベリオン(2003)
ラスト サムライ(2003)
イノセンス(2004)
自分は10本見ていた。それらの批評を読むと、面白くて仕方がなかった。細かなところから、果ては別の映画・別の分野にまで知的な探求がなされており、完結した読み物として大いに堪能できた。
メジャーどころの映画ばかりなので、必ず1本は見ていると思う。故に、共感できるところは必ずあるはず。全部見たという強者は、映画関係者かマニアでしかあるまい。著者は間違いなく後者であり、底知れぬ映画愛を持っていたことを確認できる。

要するに、物語が面白いとか、登場人物の考え方に共感するとか、そういう類の映画では全くないということです。むしろ、ハラハラドキドキの物語が無くて、カメラワークと演技だけでハラハラドキドキ感を「捏造」する方が映画の醍醐味なのだ、ということを思い知らせてくれた映画なのでした。 
ぼくは「アルマゲドン」で「感動」した、という人にはこういうことにしています。「それは、君が世界に対して怠慢な証拠だよ」と。彼らは世界から「感動」を見つけ出す努力をしていない。だからとりあえずの涙を「感動」にすり替えて満足しているのだと。 
映画は娯楽である。2時間の間、それなりに面白いお話しを映像でつなげればそれでよろしい。きっちり予算内で、2時間という尺を埋めて、お客さまに見せる商品にするのが俺達の仕事だ。そんな者の障害になる作家生徒か芸術性とかは犬にでも喰わせとけ。そんな「映画という商売」の誇りをぼくはトニーから感じるのだ。 
映画というのはそうした「撮影者の視線をあらわにする」奇妙な力を持っている。
上記に列記したものは、31本の中に収められた批評のほんの一部。面白い観点、辛辣な言及、新たな視点、ぜひともその刺激的な文章を映画とともに味わってほしい。

▷ 観賞
『映画評』を読んで、早速「リベリオン」を視聴してみた。率直にあまり面白いとは思えなかったが、なんだか見ていて楽しかった。次は、「金融腐蝕列島」「アイアン・ジャイアント」などを見ようかと思っている。
そしてまた、これから公開されていく映画も違った見方で捉えられるかもしれないと、ワクワクドキドキ。これからの映画生活に新たなスパイスが加わった気がする。果たしてどんな映画が私的なリストに加えられていくことか─
映画の記録


2015年10月12日月曜日

暴露:スノーデンが私に託したファイル

「暴露:スノーデンが私に託したファイル(グレン・グリーフォルド著、田口俊樹・濱野大道・武藤陽生/訳)」を読みました

◇「暴露:スノーデンが私に託したファイル」の概要
ニューヨーク生まれのジャーナリスト/グレン・グリーンウォルドが、NSAやCIAで勤務していたエドワード・スノーデンの持っている暴露情報を受け取り、リークしていくまでの顛末を綴ったもの。
暴露情報の内容をもとに、暴走する政府の実態を露わに、プライバシーの危機的状況とジャーナリズムでさえもが毒されている状況に警鐘を鳴らしている。


▷ 個人的印象
暴露内容が詳細であればあるほど、組織内固有の名詞や英語圏特有の略語が頻出するので、全く頭に入ってこなくなります。ただ、それが何を意味しているのかは漠然と把握はできます。要するに、NSAなどが独自のソフトウェア開発して世界中のネットワークから個人情報を傍受しているという実態がある、ということなのでしょう。
ただ、次のような文章にはさすがに震撼させられます。
「マイクロソフト、ヤフー、グーグル、フェイスブック、バルトーク、AOL、スカイプ、ユーチューブ、アップルといったアメリカのサーヴィス・プロバイダーのサーバーから、直接データを収集していた」(『暴露』より)
政府がナイショでコソコソと行っている情報収集に、ほとんどの巨大企業が協力していたということであり、もはや個人的なナイショのメールなど存在しないのでは?
某SF小説の中で「諜報活動が激しさを増し、情報のやりとりは通信ではなく伝書鳩が主流となった」と記されていたのを思い出してしまいました。
このデジタル時代は、インターネットにしかもたらせない個人の自由と政治の自由を約束しているのか。それとも、インターネットは史上最悪の暴君の野望をも超える、逃れられない監視と支配をもたらす道具と化してしまうのか。今この時点ではどちらもありうる。どちらの道を進むかは、ひとえにわれわれの行動にかかっている。(『暴露』より)
◇ スノーデン
著者が情報提供者であるスノーデンを直接取材したのは、香港での10日間だけ。それ故に、彼の人物像やどうしてアメリカ政府を敵に回すという決意に至ったのかという理由についても、説得力に欠けるように思える。
「人間のほんとうの価値は、その人が言ったことや信じるものによって測られるべきではありません。ほんとうの尺度になるのは行動です。自らの信念を守るために何をするか。もし自分の信念のために行動しないなら、その信念はおそらく本物ではありません」
「われわれ自身が自らの行動を通して人生に意味を与え、物語を紡いでいく」
「自分の主義を守るための行動を取ることを、恐れたままではいられなかった。そんな人間にはなりたくありませんでした」(『暴露』より)
スノーデンが語るこれらの言葉こそが情報提供に至った理由として掲げられている。倫理観、正義感、まさにそれしかないピュアマインド─
スノーデンの世代の人間は、文学やテレビ、映画と同じように、ゲームを通じて政治意識やモラルを養い、この世界における自らの居場所を見いだしている。彼らはゲームの中で複雑な道徳上のジレンマに直面し、物事を深く考えるようになるのだ。(『暴露』より)
インターネットの価値について語る彼は生き生きとして、情熱的でさえあった。「多くの若者にとって、インターネットは自己実現の場です。彼らはそこで自分が何者なのかを探り、何者になりたいのかを知ろうとする。しかし、それが可能になるのは、プライヴァシーと匿名性が確保される場だけです。何か失敗をしても、正体を明かさずにすむ場合だけです。私が危惧しているのは、そんな自由を味わえるのも、もしかしたら私の世代が最後になってしまうかもしれないということです」 (『暴露』より)
つまりは、ピュアマインドからのピュアな行動─。そして彼は語る─
自分の目的は、プライヴァシーを消滅させるNSAの能力をぶち壊すことでない、と。「その選択をするのは私の役目ではありません」。つまるところ彼はアメリカ国民と世界じゅうの人々に知らせたかっただけなのだ。彼らのプライヴァシーに何がなされているかを。(『暴露』より)
著者は本の冒頭、序文の中で次のようなことを述べている。
政府によるプライヴァシー侵害への抵抗は、実のところ、合衆国建国の大きな要因だった。アメリカに入植した者たちは、イギリス当局がどこでも好き勝手に家宅捜索ができる法律に抗議した。 (『暴露』より)
合衆国憲法修正第四条にはアメリカの法におけるこの考えが明記されており、この条項の文言は明確かつ簡単だ。「国民が、不合理の捜索および押収または拘留から身体、家屋、書類及び所持品の安全を保障される権利は、これを侵してはならない。いかなる令状も、宣誓または宣誓に代わる確約にもとづいて、相当な理由が示され、かつ、捜索する場所および抑留する人または押収する物品が個別に明示されていない限り、これを発給してはならない」。アメリカでは政府が全国民をひとくくりにした疑念なき監視権を持つことを永遠に禁ずる(『暴露』より)
個人の真の自由を勝ち取るため、正義の味方スノーデンは立ち上がったのだ。その行動、衝動は理解できる。しかし、動機に関しては読み取ることができず、人柄などの記述も満足いくものではない。限られた少ない期間の取材であったわけだから、致し方なしか…。


◇ アメリカの愚行
裁判所は<ベライゾンビジネス社>に、(一)アメリカと海外とのあいだでの通信、および(二)市内通話を含む、アメリカ全土の“詳細な通話記録”のすべてをNSAに提出するように命じていた。(『暴露』より)
その裁判所命令には、こうしたアメリカ人の通話記録の大規模な収集活動は愛国者法第二一五条により認められていると明記されていた(略)愛国者法の対する過激な解釈(略)その裁判所命令には、こうしたアメリカ人の通話記録の大規模な収集活動は愛国者法第二一五条により認められていると明記されていた(『暴露』より) 
2006年に、ニューヨークでギャングの犯罪容疑に関する訴訟を担当した連邦裁判所判事は、FRBがいわゆる“ローヴィング・バグ”─遠隔地から個人の携帯電話を起動させて、盗聴器として使うこと─を合法捜査として認めていた。(『暴露』より)
外国諜報活動監視裁判所は、政府権力を純粋に監視する機関として設立されたわけではない。1970年代に発覚した訃報監視活動への市民の怒りを静めるため、見せかけの改革として設立されたものだ。(略)法の番人として独立した裁判所というよりは、行政機関内の一部署とずっと見られてきた。(『暴露』より)
中国のインターネット機器製造会社に対するアメリカの告発には容赦がなかった。(略)中国製のルーターやその他の機器に監視装置が埋め込まれているという確証を得ていたわけではなかった。にもかかわらず、彼らはこれらの業者が協力を拒んだということで、彼らの製品を購入しないようアメリカ企業に呼びかけた。(『暴露』より)
 中国製品は信用できないという合衆国政府の非難の背景には、中国が監視をおこなっているという事実について世界に警告を発したいという思いがあったのだろう。しかし、中国製機器にアメリカ製機器のシェアを奪われてしまえば、NSAの監視網が狭まってしまうというのも大きな動機としてあったはずだ。言い換えれば、中国製のルーターやサーバーは経済的な競合相手というだけではなく、監視の手段としても競合していたということだ。ユーザーひとりがアメリカ製品ではなく中国製品を買うだけで、NSAは大量の通信に対するスパイ行為の決め手を失ってしまうことになる。(『暴露』より)

◇ 巨大な監視網
そもそも何故にこういった監視網が構築されたのか。
陸軍大将キース・B・アレキサンダー(略)、2003年、イラク占領時の信号情報収集を断行した。(略)戦闘地域の外国向けにつくられたこのユビキタス監視システムを、アメリカ国民の監視に導入できないかと考えるようになる。 (『暴露』より)
その目的とは何なのか。
“国益、金、エゴ”の三要素のすべてが、地球規模の監視を独占しつづけようとするアメリカの大きな動機になっているのだそうだ。(『暴露』より)
この壮大な構想の中に置いて、自分のような凡人には全く無関係としか思えないのだが、それこそが監視社会をつくりだす悪因となってしまっているのだ。
ユビキタス監視が驚異的な支配力を発揮し、結果として人々を自己検閲に駆り立てることは、さまざまな社会科学実験で証明されてきた。(略)「監視の萎縮効果」(略)見られていることが、いかに個人の選択を狭めるか(略)家庭のような最も私的な環境においても、単に見られているという理由だけで、普通であれば取るに足らない些細な行動が自己判断や不安を呼び起こすことがある。(『暴露』より)
もともと、この監視システムはテロを未然に防ぐことを目的として進められてきた面があるが、その効果たるもの惨憺たるものである。個人の情報を網羅しようとしているのに、個人的に引き起こされたテロ事件を、何一つとして未然に防ぐことができていない。
2013年のボストンマラソン爆弾テロ事件を防ぐことはおろか、何かを検知することすらできていなかった。クリスマスの日のデトロイト上空での航空機爆破未遂事件を予見することも、タイムズスクウェア爆破未遂事件やニューヨークの地下鉄爆破未遂事件を見抜くこともできなかった。これらの事件はすべて、たまたま近くに居合わせて検知した一般人や、従来の警察力によって未然に防がれたのだ。そして言うまでもなく、コロラド州オーロラやコネティカット州ニュータウンでの銃乱射事件を阻止することもできなかった。ロンドンからムンバイ、マドリッドまで、国際的な大規模襲撃が起きたときにも、少なくとも何十人もの工作員が従事しながら未然に防ぐことはできなかった。(『暴露』より)
つまり私たちは次のことを真剣に考えなくてはならない。
「制限のない監視は私たち個人にとって、私たちの生活にとって、どんな意味を持つのか?」(『暴露』より)
「誰かからも干渉されない権利は最も包括的であり、自由な人間が最も大切にする権利である」(『暴露』より)

◇ ジャーナリズム
司法・行政・立法に並んで、社会の第四権力とされる報道。そこに従事している筆者が、今回のこのリークで経験した具体的事柄を引き合い出し、ジャーナリズムの危機というものを最も強く叫んでいる。
機密情報の公表は合衆国政府にとって(曖昧ながらも)犯罪ととらえられ、相手が新聞社であったとしてもスパイ活動防止法違反に問われかねない。(略)これまで政府は報道機関の刑事訴追を避けてきたが、それは報道機関が暗黙のルールに従って事前に公表内容を伝え、国家の安全保障に危険が及ぶ可能性について政府側に反論する機会を与えていたからだ。このプロセスを踏み、機密文書の公開によって国家の安全保障を脅かす意図や、訴追に該当する犯意がないことを新聞社は明示しなくてはいけない(『暴露』より)
<ウィキリークス>がイラクとアフガニスタンでの戦争の機密文書を発表し始めると─とりわけ外交公電の公開が始まると─<ウィキリークス>の刑事訴追を求める声がアメリカ人ジャーナリストたちのあいだからあがった。私としてはこれは驚愕すべき反応としか言いようがない。たとえ上辺だけだとしても、権力者の行動に透明性をもたらすことがジャーナリストの務めではないのか。そのジャーナリストが、大きな透明性をもたらした歴史的行動を非難し、さらには犯罪だと声高に叫んだのだ。(『暴露』より)
ジャーナリズムの世界に身を置く多くの者にとって、政府から“責任ある”報道というお墨つきをもらうこと─何を報道すべきで何を報道すべきでないかについて、彼らと足並みを揃えること─が名誉の証しとなっている。これは事実だ。そして、それが事実であるということが、アメリカのジャーナリズムがどれだけ体制の不正を監視する姿勢を失ってしまったか、そのことを如実に物語っている。(『暴露』より)
政府が最も嫌うものは、反体制的なものであり、最も苦手とすることは透明性を維持しようとすることかもしれない。そういった苦手や負の面や苦手なところを補ってくれているのがジャーナリズムなのかもしれません。それは、決して政府のためではなく・政府を補うためではなくて、自分たちのような一般市民のために存在するものなのです。つまりは、司法と立法と報道が結託して行政の思い通りに動くなど、民主主義社会としてあるまじきものなのです。
読破に難渋した本ですが、そういった意義深い感情を思い起こさせてくれました。





2015年9月30日水曜日

書くことについて

「書くことについて(スティーブン・キング著、訳:田村義進)」を読みました

◇ 作家としての地位を確立するまで
私は覚えている。母親の言葉に無限の可能性を感じたことを。
“履歴書”の章での記述である。これから想像されるとおり、本の前半部分は著者が作家を志すきっかけと、成功するまでの苦労話が綴られている。そして同時に、それをもとにした経験的アドバイスなども網羅されている。
まだ剃る鬚もない若さでは、楽観主義は挫折に対する最高の良薬
決して家庭環境も恵まれていたわけでもなく、地道な努力の末に大きな成功を手にしたという著者は、あらゆる雑誌に原稿を投稿・応募しては不採用の連続だったという。
「何かを書くときには、自分にストーリーを語って聞かせればいい。手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ」(略)─ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。言いかえるなら、最初は自分ひとりのためのものだが次の段階ではそうなくなるということだ。原稿を書き、完成させたら、あとはそれを読んだり批判したりする者のものになる。
高校在学時にバイトをしていた週刊新聞の編集長が、上記にあるようなあらゆるアドバイスを著者にしてくれて、それらプロの意見が大いに参考になったことも書かれてある。
ものを書くということは孤独な作業だ。信じてくれる者がいるといないとでは、ぜんぜんちがう。言葉にする必要はない。たいていの場合は、信じてくれるだけで十分だ。
将来の伴侶との出会いも書かれていて、それが小説家として大成する上で非常に重要になったことが、徐々に明らかになってくる。
この前半部分の“履歴書”含め、全体的に、小説家を志している若者、スティーブン・キング愛するオールドファン、まだその名も知らないフレッシュマンなど、あらゆる方面の人々が読んで楽しめる内容だと思う。


◇ 作家としてのアドバイス
芸術というものはおしなべてテレパシーに依存している。その際たるものが文芸であろう。(略)
私はなにも奇をてらっているわけではない。あなたにどうしても伝えたいことがあるのだ。(略)
いい加減な気持ちで原稿に向かってはならない。
小説、小説家というものの考え方を提示して、ここから内容は書くことについての具体的な技術論へと展開していく。
文章を書くときに避けなければならないのは、語彙の乏しさを恥じて、いたずらに言葉を飾ろうとすることである。(略)
語彙に関しては、最初に頭に浮かんだものを使った方がいい(略)
必要とされるのは、事物の名を表す名詞と、事物の動作を表す動詞だけ(略)
文法は単なる頭痛の種ではない。それはあなたの思考を立ちあがらせ、歩かせるための杖なのだ。(略)
要するに基本重視の姿勢である。
受動態の使用はなるべく避ける方がいい(略)書き手が受動態を好むのは、臆病な人間が受動的なパートナーを好むのと同じだ。(略)
私が副詞を使う理由は、ほかの作家と同じだと思う。副詞を入れないと読者にわかりにくいのではないかという不安からだ。下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。
作家としての自信と覚悟を示す必要があるということなのだろう。
書くという作業の基本単位はセンテンスではなく、パラグラフだ。ここでは干渉作用が始まり、言葉は言葉以上のものになる機会を得る。内側から何かが動き出す瞬間があるとすれば、このパラグラフのレベルにおいてである。(略)いいものを書きたければ、パラグラフを使いこなさなければならない。そのためにはリズムを体得する必要がある。そのためにはトレーニングあるのみ。(略)作家になりたいのなら、絶対にしなければならないことがふたつある。たくさん読み、たくさん書くことだ。(略)読みたいから読むのであって、何かを学ぶためではない。(略)読むことが何よりも大事なのは、それによって書くことに親しみを覚え、書くことが楽になるということである。
著者は生まれながらの天才などではなく、紛れもない努力の人だということがよくわかる。だからこそ、その言葉は、多くの人の心を捉え続けるのであろう。


◇ 小説を書くことについて
章が深まるにつれ、作家とし成功するための具体的な方策が提示されていくる。
小説は三つの要素から成り立っている。ストーリーをA地点からB地点へ運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述、読者にリアリティを感じさせる描写、そして登場人物に生命を吹き込む会話である。
大胆にも小説は上記のような要素で成り立っているとして上で、その具体的な内容がさらに述べられていく。
ストーリーは自然にできていうのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。(略)ストーリーとプロットはまったく別物(略)ストーリーは由緒正しく、信頼に値する。プロットはいかがわしい。自宅に監禁しておくのがいちばんだ。
優れた描写というのは、すべてを一言で語るような、選びぬかれた少数のディティールから成り立っている。そして、それは真っ先に浮かんだものであることが多い。
ストーリーテリングの基本について(略)日ごろの鍛練が大事であるということ(鍛練といっても、それは楽しいものでなければならない)、正直さが不可欠だということだ。描写や、会話や、人物造形のスキルというのは、つまるところ、目を見開き、耳を澄まし、しかるのちに見たもの聞いたものを正確に(手垢のついた余計な副詞は使わずに)書き写すことにすぎない。
テンポのことを考えるとき(略)“退屈なところを削るだけでいい”という言葉を思い出す。(略)最愛のものを殺せ。たとえ物書きとして自尊心が傷ついたとしても、駄目なものは駄目なのだ。
背景情報に関するもっとも重要な留意点は、ひとにはかならず個人史があるということと、それは総じてさほど面白いものではないと言うことである。背景情報は面白いところだけとりあげ、そうでないところは無視した方がいい。
基本的な文章力でもってして、誠実にストーリーを綴っていけば、もしかしたら優れた作品が書けるかもしれないと言っている。
優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない。
プロットでもテーマなどでもなく、とにかくストーリーテリングだということだ。


◇ 後書き
この後書きには、書くことについての具体的なアドバイスなどは一切なく、著者の個人的な出来事や人生観といったものが語られている。故に、一見すると、本の趣旨に反したものに思えてしまうのだが、ここがまさに一番の読み所であった。
この本を書き上げるまでのあらゆる障壁が綴られており、著者自身にとっての書くことについての意義が明確に示されている。
私が書くのは悦びのためだ。純粋に楽しいからだ。楽しみですることは、永遠に続けることができる。
ものを書くのは、金を稼ぐためでも、有名になるためでも、もてるためでも、セックスの相手を見つけるためでも、友人を見つけるためでもない。一言でいうなら、読む者の人生を豊にし、同時に書く者の人生も豊にするためだ。立ちあがり、力をつけ、乗り越えるためだ。幸せになるためだ。おわかりいただけるだろうか。幸せになるためなのだ。
よいところだけ抽出して部分掲載すると、何か詭弁というか、真実みがないように見えてしまうかもしれない。しかし、「書くことについて」を読破したものにとってしてみれば、まさに幸せに生きるためにスティーブン・キングは書き続けているのだと、実感できる言葉なのだ。

あらゆる文章を作成する上で、この本が非常に有効であることは間違いない。そしてまた、スティーブン・キングの自伝としても十分に楽しむことができる、まさに一挙両得の本であった。

2015年9月29日火曜日

病牀六尺

「病牀六尺(著:正岡子規)」を読みました

◇「病牀六尺」とは
明治35年(1902年)5月5日から9月17日まで新聞「日本」に連載された、正岡子規による随筆。正岡の命日が9月19日であるから、本当に死の直前まで執筆していたことがよく分かる。
内容は、歌や句についてはもちろんのこと、画論や時評についても数多く述べられている。故に、正岡得意の俳句や和歌に興味がなくとも、明治という時代など歴史的背景に興味がある人ならば、それなりに楽しむことができると思う。
また、歌についても率直な正岡自身の意見とともに懇切丁寧な解説が成されているので、これが俳句などに興味を持つきっかけになるかもしれない。


▷「病牀六尺」の言葉 <俳句>
自分は、俳句とか和歌には全く興味がない。だから、その短い文章の中に込められている思いなど、容易につかみ取ることができない。枕詞など含まれている場合は、理解に苦しんでしまう。
そんな自分でも、正岡子規の俳句は分かりやすくて、素直に理解できた。
鳥の子の飛ぶとき親はなかりけり
─親を亡くした若者に正岡が贈った言葉
墨汁のかわく芭蕉の巻葉かな
芍薬は散りて硯の埃かな
五月雨や善き硯石借り得たり
─高級な硯を手に入れたものの、使えない気持ちを吐露したもの
鹿を逐ふ夏野の夢路草茂る
─新聞紙面を総選挙が賑わせているさまを表している
目的物を写すのには、自分の経験をそのまま客観的に写さなければならぬ
─正岡子規にとって俳句はまさしく客観描写のようなもの。それ故に分かりやすくて頭の中に入ってきやすい。ちなみに、正岡は植物などの静物画を描写することが好きであったようだ。
余の命の次において居る草花の画であった
─多くの画論を残しているだけあって、正岡子規の“草花の画”もなかなか見事なものである。


▷「病牀六尺」の言葉 <身近な物事>
明治という時代が始まってから147年。それが長いか短いか─。正岡子規という存在は確かに遠い。しかしながら、113年前に書かれたその文章を読むと、それが身近に感じてしまうから不思議なものだ。
丸の内の楠公の像
─病床が続き近頃の東京の様子を見ることができないことを嘆き、見たいものとして、現在皇居にある楠木正成の像を挙げている。自分はそこをしばしば走り抜けているので、一瞬、子規との時代を共有した気分になった。参考までにいうと、楠木正成像は明治23年(1891年)に献納されたという。
水難救済会はその会の目的が日常的なものであって今日の赤十字の如く戦時にのみ働くといふやうなものとは性質を異にしてをるにかかはらずかへって微々として振はんのは県官の誘導も赤十字社の如くあまねく及ばないのであるか、あるいは勲章めきた徽章のないためであるか、何にしても惜しむべき事であると思ふ。
─当時、日本には2、30ヵ所の救難所が設けられていた。それを正岡子規は少なすぎる、もっと増やして整備すべきだと述べたもの。水難救済会、日本赤十字社ともに現在も存在する組織。
明治維新の改革を成就したものは二十歳前後の田舎の青年であって政府の老人ではなかった。(略)何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であって、従来世の中に立って居った所の老人が途中で説を飜したために革命または改良が行はれたといふ事は殆どその例がない。
─もっとのだ。
ひとつの写真は右目で見たやうに写し、他の写真は同じ位置に居って同じ場所を左の眼で見たやうに写してあるのである。それを眼鏡にかけて見ると、二つの写真が一つに見えて、しかもすべての物が平面的でなく、立体的に見える。
─その時代、すでに3Dは存在していたわけだ。
教育は女子に必要である。
─明治維新後、ようやく女性の教育が叫ばれるようになった。正岡子規もそれを強く主張している。まるで現代日本で女性の社会進出が叫ばれているように…。
日本酒がこの後西洋に沢山輸入されるやうになるかどうかは一疑問である。(略)日本の名が世界に広まると共に、日本の正宗の瓶詰めが巴里の食卓の上に並べられる日が来ぬとも限らぬ。
─いまの日本酒ブームを予見しているかのようだ。

当然、いまの文化風俗と違った事柄も記されているのだが、このように現代とそれほど変わらない記述を目にすると、人の世などまだまだ一瞬のことでしかないと感じてしまう。


▷「病牀六尺」の言葉 <身近な物事>
本の題名のごとく、病気との激しい闘いが数多く綴られている。確かに、読んでいると辛くなってくるのだが、そのうちに床に伏していることさえも楽しんでやろうという気持ちがこちらによく伝わってくるためなのか、不謹慎とは思いつつも、滑稽な印象さえもってしまう。
悟りといふ事はいかなる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であった。
体調が優れない日の記述。本は日めくりのように綴られているため、記述から体調の良し悪しが容易に察することができる。
「如何にして日を暮らすべき」「誰かこの苦を救ふてくれる者はあるまいか」 
この問いに正岡子規自身の答えは、よき看護人ということになっている。そして、病気で苦しんでいる自分を、客観的にいち病人と捉えながら、看護についての考察がたびたび成されていることも非常に興味深かった。
直接に病人の苦楽に関係する問題は家庭の問題である、介抱の問題である。(略)看護の如何が病人の苦楽に大関係を及ぼすのである。(略)傍らの者が上手に看護してくれさへすれば、即ち病人の気を迎へて巧みに慰めてくれさへすれば、病苦などは殆ど忘れてしまふのである。
看護、介護というものは、難しいものだとつくづく実感する。
病気を楽しむといふことにならなければ生きて居ても何の面白味もない。
正岡子規が半ば悟ったことなのかもしれない。
老母に新聞読みてもらふて聞く。振仮名をたよりにつまづきながら他愛もなき講談の筆記抔を読まるるを、我は心を静めて聞きみ聞かずみうとうととなる時は一日中の最も楽しき時なり。 
ここだけ読むと、微笑ましい日常風景のように思ってしまうかもしれないが、これは苦痛を和らげるためにのんだ麻酔剤が徐々に徐々に効いている状況を記しているものなのだ。


◇ しめくくり
命を賭した127日の記録。その中には膨大な情報量が詰め込まれている。
最後に、新聞「日本」に連載していた「病牀六尺」が100回目を迎えた項の冒頭を引用して、締めくくりとしたい。
○「病牀六尺」が百に満ちた。一日に一つとすれば百日過ぎたわけで、百日の月日は極めて短いものに相違ないが、それが余にとっては十年も過ぎたやうな感じがするのである。

2015年9月14日月曜日

脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方

「脳を鍛えるには運動しかない!最新科学でわかった脳細胞の増やし方( 著:ジョンJ・レイティー/エリック・ヘイガーマン、訳:野中香方子)」を読みました

▷ 私事
 40も半ばにきている自分は、月100キロ走ることを自らに課している。体重管理で始めたウオーキングが物足りなくなり、走り始めてちょうど5年になる。
 体中の痛みや疲労感を乗りこえ、何とか習慣化しようと、靴や服装をいろいろ考えてみたり、長時間を走るための食生活を調べてみたり、走るルートをあれこれ考えいろいろと変えてみたり、あるいはランニング用のアプリケーションであったり時計であったり、様々な要素を用いて走ることへのモチベーションを上げていった。
 走っていく毎に、もっと気持ちを上げてくれるものを追い求め、いまも常に走るための何かを探し続けているような気がする。そしてその結果、この本に出会った。
 読んでみてなるほど、自分が走り続けてしまう理由がよく理解できた。そしてこれからも走り続けていくと確信した。


◇  対象者
 医学用語・専門用語が頻出することから、明らかに医療従事者や研究者をも対象にしていることがうかがえる。しかし、決して難解というわけでなく、むしろ自らの知識を高めるためにも有効ではなかろうか。
 また、うつとか、パニック障害、ADHD、依存症など精神的な病における記述が豊富であり、そういった面から、心の病や精神的問題を抱えているような人が読めば効果は絶大であろう。
 健康な人、今はまだ健康な人、そんな人は予防策として、あるいは将来の備えとして読んでいても損はないはず。

◇ 学びで鍛える前に運動で鍛える
 運動すれば天才になれるといったことが書かれているわけではない。運動することにより脳を作る重要な成長因子が分泌され、それにより脳が成長していく─つまり情報処理をする脳そのものが成長するために運動は強力な武器となると言っている。
 この脳を鍛えるという行為、つまり運動をするということは、脳が活性化され、気持ちも活発になり、学習する上でもプラスに働くという。
 つまり、運動は、体も鍛え脳も鍛え、気持ちも学習能力も高めてくれるというのだから、今すぐにでも体を動かしたくなるはずだ。

◇ 自分の運動を見つけること
 脳を鍛えるための運動として、かなりハードな運動を理想的だとしている。
週に6日、何らかの有酸素運動を45分から1時間するというのが理想だろう。そのうち4日は中強度で長めにやり、あとの2日は高強度で短めにする。
この理想を真に受けると続けていくことが非常に困難なように思えてくる。理想は上記のように書かれてはいるが、そうしなければならないとは決して言っていない。むしろ、個人個人続けていくことができる運動を見つけることを推奨している。
 ウオーキング、ランニング、自転車、エアロバイク、ランニングマシーン、水泳、パドリング、フィットネス、ダンス、ダンスダンスレボリューション…
 とにかく能動的に体を動かしたくなるような何かを見つけることが重要で、そのうえで個人個人の能力に見合った運動していくことが大事なようだ。
統計によると、運動を習慣にしようとした人の約半分は、半年から1年以内にあきらめてしまうようだ。意外でもないが、最大の理由は、いきなり高強度の運動を始めてしまうところにある。
続けて運動していくことが重要なようで、毎日でなくとも隔日でも、それを続けていけば、脳が活性化するのは間違いないようである。
 ダイエットや体を鍛えるために体を動かすのではなく、頭を鍛えるために体を動かすという意識を持ってみると、もしかしたら、今までと違った世界を見ることができるかもしれない。ぜひとも試してみてほしい。

 
 
 

2015年9月13日日曜日

気仙川

「気仙川(著:畠山直哉)」を読みました

◇ 映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』を見て
ひとつのドキュメンタリー映画を見た。そこには被災者としての葛藤、遺族としての葛藤、そして芸術家としての葛藤が描かれていて、3・11後に自分たちが見守っていかなければならない事柄は無数にあるのだと実感した。
あの日、日本中で、多かれ少なかれ、見えるもの見えないもの、誰もが何かしらの変化を感じとったはず。畠山直哉にとってその一つが写真であった─
「それらが震災によって意味が変わってしまった」
ふるさとを捉えた写真を眺めながらと畠山直哉が語っていた。至極当然のことであるとは思う。では、どう変化したのか?何となくは感じとる、しかし具体的にどのように変わったのか、その思いが自分を『気仙川』に向けさせたのだ。

◇ 記憶としての写真
「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ」
 『気仙川』のあとがきに記されていた畠山の言葉だ。非常に写真家らしい発言であり、実際に過去の作品を見るかぎりにおいて、その言葉を実感できる。
『気仙川』には震災前の写真が数多く載っている。それらを見ると、記憶を助けるための写真も撮っていたのではないかと思ってしまう。
確かに撮っていたはずだ。ただ、写真家としてそれらを発表してこなかった(するつもりもなかった)ということなのだろう。
作品として成り立ち得なかった写真が恣意的に並べられていて、一見まったく無意味な、何の意味も成さないかのように思ってしまう。しかし、それは一つの空白をおいて、その性質をがらりと変え、重要な意味やストーリーが形成されてくるのだ。
そこに何があったのか、その人はどんな顔をしていたのか、その時の空は、水はどんな色だったかを、写真から確かめたい。僕は初めてナイーブにそう思った。でもよく考えてみれば、これは人間によって、写真を撮る第一番の理由ではなかったろうか。夕空を映す気仙沼に向かって小さなカメラを構えていた、僕の母のように。
◇ 写真集としてではなく─
エッセイとして、ドキュメンタリーとして、写真集としてではなく、物語を読み解くように。ひとつひとつの写真そのものに魅力を感じなくても、そのひとつひとつに確かな意味が込められていることだろう。そしてこれからこの景色がどのように変わっていくのか、しっかりと見つめなくてはならない。そのためにも記憶としての『気仙川』が重要な役割を担うことになるだろう。

2015年9月11日金曜日

百年の孤独

「百年の孤独(ガルシア・マルケス著)」を読みました

◇ ガルシア・マルケスという作家を知る
ノーベル文学賞を受賞している偉大な作家を知ったきっかけは、安部公房の「死に急ぐ鯨たち (新潮文庫)」から。そこにまさしくこの「百年の孤独」が記されていて、ガルシア・マルケスという作家を知る。書店にて「百年の孤独」を手にするものの、その内容のボリュームに半ば辟易し、まずは多少手頃感を感じた「予告された殺人の記録 (新潮文庫)」を読んだ。そして「百年の孤独」に挑んで、あえなく撃沈…途中放棄…
無知な自分には、文章だけで綴られた未知なるラテンアメリカの描写と複雑なカタカナの固有名詞についていくことができなかった─という分析、というか言い訳…。

◇ 天に召されたその日
2014年4月17日、ガブリエル・ガルシア・マルケス86歳の生涯を閉じる─訃報を聞くに及び、再び「百年の孤独」に挑む。そして読破に1年半近くも費やしてしまった。
活字がびっしり埋め込まれたその文体と闘っていると、なぜだか、大江健三郎の「同時代ゲーム(新潮文庫)」を思い出してしまった。そう言えば、背景や内容も非常に似ている。ガルシア・マルケスに影響を受けた作家は多いと聞くから、間違いなく影響を受けたものなのだろう。
ともかくも、ガルシア・マルケスが天に召されたその日から、再び、偉大なる文学との格闘が始まった。

◇ 「百年の孤独」世界観
マカロニウエスタンと大草原の小さな家、素直に感じた世界観だ。埃っぽさを感じるその景色を背景に、土地を開拓しながら世代を越えて物語が展開する。
それにしても何世代のブエンディアが登場したのか、どんなに早く読みきったとしてもそれを正確に言及することは困難ではなかろうか。
今改めてこの本の解説などを散見すると、合計7世代の物語がそこにあったという。さすがに第1世代のことは記憶にあるとしても、2、3になるともはや記憶にすらない。
そもそも、登場人物の名前があまりにも酷似したものばかりで、読んでるこちらの混乱は極まりないもの。世代が変わろうとも歴史は繰り返されるという明確な意図は理解できるが、それにしてもかなりの忍耐力と知性が要求されるのは確か。
それら登場人物を細かく把握すると、複雑な人間ドラマを存分に楽しめるということもまた確かなこと。
そしてまた、一つの町というか世界というべきなのか、ブエンディア家とともに盛衰していく社会というものも堪能できることもまた醍醐味といえる。まさに人類の縮図がそこに収められている、そう感じた時、この物語の偉大さを実感できた。

◇ 「さらば箱舟」と「百年の孤独」
個人的には2の芸術作品に全く共通点を見出すことができない。前者は艶っぽくて煌びやか、独特の世界観で何ものをも寄せ付けない。かたや後者は、セピア色で常に暗い影をチラつかせながらも、すべてのものを内包していく。そんな印象を持っているために、前の原作が後だとはとても思えない。甲乙とかそういう観点からとらえることはできなくて、それぞれ全く別次元で論じられるべきものであろう。いずれの作品も難敵であることは確実だ。

以上、かなり道がそれた感があるが、あくまで個人的見解、個人的記録。





2015年9月2日水曜日

嫌われる勇気

「嫌われる勇気(著:岸見一郎・古賀史建)」を読みました

◇「嫌われる勇気概要
アルフレッド・アドラーの心理学を戯曲風というか物語風に分かりやすく解説してくれる一冊。書かれていることはごく当たり前のことかもしれないが、人生の指標となる事柄を改めて認識できる。

▷ わたくしごと(購入動機)
購入したのは今年の初め。書店でベストセラー1になっていたこの本を手にし、ユングとフロイトと並び称されるアドラーのことを少しでも知っておこうと思い購入。アドラーその人のことはあまり知ることはなかったものの、その思想は大まかにつかめたような気がする。

◇ やさしい物語を読むが如く
心理学のことや啓発的なことは多分に含まれていながら、難解な表現は皆無であり、しかもフィクションという形式をとっているのでなおさら読み切ることは難しくないはず。
平易な表現であるが故に、これは本当のアドラー心理学なのかどうか懐疑的に思ってしまう面は否めないが、入門書として捉えればここから何かが広がっていくことだろう。

▷ わたくしごと(響いた言葉)
自己肯定ではなく自己受容、すべての悩みは対人関係の悩み、課題の分離、われわれは同じではないけれども対等、いちばんいけないのは「このまま」の状態で立ち止まること、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは他者の課題で介入してはいけない、他者への貢献という導きの星さえ見失わなければ迷うこともないし何をしてもいい、以上が心に響いた言葉。決して難しい事柄ではないけれども、簡単なことでもない。

▷ わたくしごと(不満)
展開されている会話の主導権があまりにも一方的すぎて、後半は多少退屈な気持ちになった。また、非アドラー的な行為の具体例が提示されそれが否定された後、アドラー的行為とはどういうことなのかという提示があまりにも抽象的すぎて具体例が足りていないところが大いに不満。例えば─、子どもに「勉強しなさい」と言ってはいけない、ではどうするのか?それは、勉強が本人の課題であることを伝え、必要とあれば援助する用意があることを伝える─とあるが、こちらが欲するものは「勉強しなさい」に相対するアドラー的言葉だったりする。そういったところがことごとく曖昧で、はぐらされている気持ちになってしまった。

◇ 嫌われる勇気とは
世界とは、誰か他の人が変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。だから、嫌われる人には嫌われても構わないという姿勢で、自由に生きていくべきだ、他者貢献という星だけは見失わないようにして─。

2015年8月31日月曜日

読んだら忘れない読書術

「読んだら忘れない読書術(著:樺沢紫苑)」を読みました

読破直後
・ひと月10冊本を読む
・そして感想やレビュー等をブログとして記録する
読んだら忘れない読書術(著:樺沢紫苑を読んだ後に上の2つの目標を立てました。

▷ 私事 その1
そもそも自分は活字に対しての苦手意識が強くて、それを克服したいがために半ば強引に本を読み続けていたようなところがありました。読書は言わば修業のようなもの─、それがいつの頃からか本への抵抗がなくなったのですが、その理由が何だったのか思い出せません。修業が見なったのか、それとも“運命の一冊”と出会ったからなのか…。恐らくその一冊に出会ったからだと思います。が、しかし、それが何だったのか─…

▷ 私事 その2
自分にとっての“運命の一冊”は、以下のいずれか─
項羽と劉邦
山月記
五分後の世界
罪と罰
こころ
銀河英雄伝説1 黎明篇
記憶も曖昧で、ましてや本の内容も人に説明できるくらいに覚えているはずもありません。1冊を読破するのにもかなりの時間を要していたし、それ故に読むスピードばかりに意識がいってしまい、時として内容そっちのけで流し読みすることも─、そして速読への憧れ…。そんな読書コンプレックスのようなものを持ってしまっていた自分にとって、「読んだら忘れない読書術」はまさに啓示的なものとなりました。

◇ 意識を変えさせてくれた
読書というものは時間がかかるものであり、時間をかけるべきものとしてじっくり“深読”すべきだという至極当たり前の考え方を、無理なく教えてくれたこの本は、自分にとって“運命の二冊目”といったところでしょうか。
読書のための時間を特別に取るのではなく、日常における時間の“スキ間”を読書にあてがうことで、無理なく読書量を増やすといった考え方にも、素直に同調できました。「忙しくて本など読む暇なんて無い」と嘆く人にこそ、この本が手助けになると思います。
読書量を増やすために時間の使い方をあれこれ工夫し、無駄な時間をいかに読書に充てるかあれこれ考え、読んで得たことをいかに世のため人のため自分のためにいかに生かしていこうかと考える─まさに、読書によって人生が構築されていくように感じます。

◇ 読んだら忘れないために
当然ながら、忘れないための読書の方法があれこれと記載されていたわけですが、読書は身に着けるだけのものではない、という考え方が一番印象深かった。
“インプットしたらアウトプットをする、そうすることで記憶にも残る”─確かに!そう思った私はこうやってブログにレビューというか感想のようなものをとくとくと記入し始めたわけなのです。

◇ 自分の中になかった読書法
これまで私は頑なに本は最初から読んでいました。目次があればそれをザットは見ますが、例え面白そうな章や項目などを目にしても、その楽しみに向かって耐え抜く─。一方で、この本では“飛ばし読み”を推奨していて、それが非常に新鮮でした。書かれていた、“AmazonやKindleの活用術”、“著者の他著書や同出版社の他出版物”など箇所は、飛ばして読んでも問題なかったと思ったりましました。次は“飛ばし読み”にも挑戦します。

◇ モチベーションアップ
この本は、いわゆる実用書というものに分類されるのだと思います。実用書とは単に知識を得るためのものではなくて、得たものを実行して初めて有効になるのだと教えてくれたこの本によって、生きるためのモチベーションが上がりました。
影響を受ける受けないは人それぞれだと思いますが、多くの人・あらゆる世代にとってこの本は非常に有意義なものになると思います。